守屋秀繁名誉教授の独り言
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名誉教授の独り言 (189) 人間万事塞翁が馬
平成30年 6月28日

 私は現在、すこしだけ医者をしていますが、その他の時間はほとんどスポーツクラブに行っています。今年の夏は異常に暑い日が続き、その中、サッカーのワールドカップ大会はロシア各地で行われました。
 その1ヶ月ぐらい前の6月3日に千葉大学医学部昭和42年卒の「ちよに会」のクラス会が開催されました。日本サッカー協会の田嶋幸三会長が当番幹事の龍野君の患者さんであり、それよりも田嶋会長の奥様が千葉大学医学部出身の女性のスポーツドクターいう事で講演依頼を断り切れず15分のミニレクチャーという事で「ワールドカップでチームジャパンはかく戦う」という話をかなり時間オーバー話してくれました。大変興味深いお話でした。
 いざワールドカップが始まるとその面白さに夜中までTVに釘付けになりました。結果として睡眠不足なりました。仕事は以前と同じようにやっていましたが、暑かったです。
 7月5日(木)に例によって先輩が木更津でやっている病院の整形外科外来を午前中こなしてから帰宅し、一休みしてから、暇だったので家から10分ぐらいのスポーツクラブへ行きました。車を駐車場に入れたのですが何かハンドルがふらふらしていて結果として車の左フェンダーを壁に擦ってしまいました。車をスポーツクラブの前に停車したら、スポーツクラブの仲間が何人か集まってきて、救急車を呼んで大学に行くことなってしまいました、その辺は良く覚えていませんが、CT,MRI とやってくれて1時間ぐらいで「何ら異状はありません。お帰り下さい」、となりました。
 症状としては一過性の小脳梗塞が起こった感じですが後遺症は全くありませんでした。どうしてこんなことが起こったのか?少し過労だったか?、熱中症の初発症状か?、夜中のワールドカップを見て寝不足だったか?、わかりませんでした。色々と原因は考えられますが、根幹は加齢的なものと考えました。その結果として「もう車の運転はしない」と決めました。今まで苦労に苦労を重ね、築いてきた栄光ある人生を棒に振るような晩節を汚すようなことはしたくないと思い決心しました。多くの人から「素早い素晴らしい決断だ」と褒められました。でも車無しの生活は不便です。ものすごく不便です。それなりに落ち込みました。でも車が無くても生きていけることは判りました。ただ、ゴルフに行きづらくなったので、夏の間はゴルフ中止としていますが、これからの事は改めて考えます。
 車の代わりにはなりませんが、京成バスが70歳以上の老人を対象に売出しているゴールドパスを求めました。半年で16500円で京成バス乗り放題です。私は主に小倉団地から千葉駅(片道380円)、と小倉台5丁目から都賀駅(片道220円)を使いますが、時には大学病院、青葉病院にも行きます。この1ヶ月で1万円位使いましたので、十分にペイするように思います。このゴールドパスを買って少し明るくなりました。そうこうしているうちにトヨタが左のフェンダーのへこんだ車を取りに来てくれました。車載車に積み込まれ出ていきましたが、その姿を見て、また落ち込みました。一瞬「また欲しくなるかもね。その時はもっとコンパクトな車かな。」とも思いました。
 いつまでも落ち込んではいられないので、今はせっせとスポーツクラブに通っています。毎日筋力訓練をしているせいでしょうか、ショートアイアイが前より飛ぶようになってしまいました。早く涼しい季節になることを願っています。


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名誉教授の独り言 (188) 老人力
平成30年 6月28日

 私は現在77歳ですが、まだ非常勤で2週に3回、外来を主とした医者をやっています。通勤に片道1時間40分かかりますが、それはあまり苦にならず、むしろ電車に座っているだけで時間を過ごしてくれて、大変あリがたいと思っています。
 朝、公園でのラジオ体操に行くためには朝食を5時半に取り、ゴミ拾いをしながら公園に行き、6時半からラジオ体操、その後モノレール、JRで病院に行き12時過ぎまで外来をしているとお腹が空いてしまいます。11時前後に患者さんの切れ具合を見て、5分ぐらい休憩を貰い、少しお茶を飲みながら家内手製の小さいおにぎりのお弁当を食べるようにしています。仕事内容的には何の薬を処方ているかを失念していると患者さんが教えてくれますし、自覚的には十分に応えていると思っています。
 暇つぶしにスポーツクラブに週に3~4回行っています。他にやることもないからです。元気なオジーちゃんやオバー―ちゃんが毎日沢山来ています。毎週火曜日は休館日なので安いゴルフ場に行きゴルフの後にお風呂に入ってくるという人もいます。自宅のお風呂にはカビが生えてしまい、使えない状態のようです。会員の多くは火曜日以外ほとんど毎日来館し、運動をしたり、おしゃべりをしたり、お風呂に入ったりしています。会員によっては1日に2回来る日のある人も多いようです。まだまだ十分に労働力になりそうな老人がほとんどです。
 でも、政府は少子高齢化で労働力不足を声高に言っています。スポーツクラブで元気な年寄りを多く見たりしていると、この老人たちに働いてもらうわけには行かないのかと思ってしまいます。
 定年退職した人を内館牧子女史は「終わった人」と表現していますが、私は小説「終わった人」は「まだ終わってない、これから第2の人生が始まるのだ」、と言っているように思います。私自身、65歳で千葉大学医学部教授を定年退職し、その翌日から鹿島労災病院長として第2の人生を始めました。でも、その4月1日に院長宿舎に案内していただき、光熱器具の不具合が判り、それは直ぐには治らないという事で、がっくり来て千葉に戻って来てしまいました。医学部教授現職中にはこのように世間から軽んじられたことはありませんでした。多分このような扱われ方が第2の人生に踏み出せない、長続きしない大きな理由のように思いました。私は当初鹿島労災病院で任期5年と言われていましたが、業績も回復したので4年で後任の人にお願いして千葉市に戻りました。それからは以前から依頼されていた「千葉市病院事業管理者」を3年間勤め、4年前からは常勤職を辞し、先輩の病院で一整形外科医として非常勤で勤めています。高齢になっているので、能力的にも体力的にも若い時より劣っているのは当然です。私は整形外科医でしたがもう年なので手術を自分ですることは辞めて、手術の方が適応の場合はしかるべき病院に紹介させてもらう方法で対応できています。医者以外でも若い時からやって来た仕事を生かして十分に働けるのではないかと感じています。老人になり一番辛いことはやることが無い事では無いかと思っています。問題は老人のプライドだと思います。現役の時はこんな扱いは受けなかったのに、もっと報酬も高かったのに、と思う事はしばしばあります。私はあまりプライドを持つ方ではないのかもしれません。いつの間にか「もう、年だし仕方ないか」と思うようになっていました。
でも行政の方々にもっと老人力を有効利用してほしいと願っています。


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名誉教授の独り言 (187) 終わりそうな人
平成30年 6月15日

 私のガールフレンドの一人である内館牧子女史が小説「終わった人」を上梓したのは2年ぐらい前だったように思います。自宅近くの本屋さんで並んでいたのを見つけ買い求めました。その2年ぐらい前に常勤職を辞した自分にとっては、良くここまで定年退職した男性の気持ちを表したものだ、と感心しました。
 昨年この小説が映画化されるとのメールをガールフレンド様から頂き、今年5月に銀座にある東映本社での試写会にご招待を頂き、家内と2人で見に行ってきました。館ひろしさんが主役でコメディータッチになっており、中年男性の悲哀があまり感じられず、原作の方が良かったと感じました。
 私は若い時は家事や家の経済などには目もくれず、患者さんの治療や研究などに全力を尽くしてきました。65歳の3月末日で千葉大学を定年退職し、翌日の平成19年4月1日から茨城県神栖市にある鹿島労災病院長として4年勤務しました。多くは週の中頃と週末に千葉の自宅に帰り、その他の日は神栖の院長宿舎に泊まりました。
 鹿島勤務3年半の頃の月曜日の朝に6時頃に自宅を出て東関東高速道の酒々井PAで家内と2人で和定食を食べながら70歳近い人のやることでは無いように思いました。体力的には大丈夫だったのですが精神的にそろそろかなと思い出してしまいました。その頃に千葉市熊谷市長の名代の方が鹿島労災病院に来て「平成24年4月から千葉市に病院局を創るので、そこの初代病院事業管理者になってくれないか」、という御依頼を頂きました。幸いにして鹿島労災病院も私が着任した時より業績も向上し、安定して来ていたので、そのお申し出を受けることにしました。千葉市病院事業管理者も大変な仕事でしたが、私の後を当時千葉大学学長だった斎藤康先生がやってくれるとのお話を頂き、3年で退職すると決めました。3年間の在任中に40億円ぐらい経費を節約したのではないかと思っています。そして4年前に常勤職の無い状態になりました。初めは大変気楽になりfreeの生活を楽しんでいましたが数か月後には何か不安な毎日になってしまいました。無職になってから半年後に週に2日外来をしてくれという申し出を頂き、3年ぐらい勤めましたが、経営者の方針と私が長い間医者をやって来た考え方が色々と異なり、そろそろ辞めたいなーと思っているところに千葉大学医学部の10年先輩の大変尊敬できる方から「病院を手伝ってくれないか」とのお申し出を頂き、これが人生で最後の仕事だと思いながら引き受けることにしました。朝5時に起き5時半に朝食を取り、6時に家を出て近くの公園に行きラジオ体操をして、その後モノレールで千葉駅に行き、そこからJRで約1時間かけて病院に到着するという事で多少ハードですが、現在でもその仕事を続けており、半分以上「終わった人」になっていますが、外来と入院患者さんの相談に乗るだけで手術はどんなに小さいものでも全くやっていません。という事で、まだ「終わりそうで終わってはいない人」の状態です。
 私は先月の誕生日で77歳になり喜寿を迎えましたが、腰痛はあるものの腰椎のストレッチングで何となく凌いでおり、体力的には、このお程度の内容ならまだ十分に働けるし、ゴルフもスコアーは別として、週に1回ぐらいなら大丈夫だと思っています。映画「終わった人」が先週一般公開されたようですので、千葉でもう1回見ようかな、と思っています。その上で何歳まで現在の仕事を続けるか考えます。


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名誉教授の独り言 (186) 栃ノ心の大関昇進は日本の整形外科医療の勝利です。
平成30年 5月27日

 膝には4つの大きな靱帯がありますが、その内、前十字靭帯は膝の中にある靱帯で大腿骨に対し脛骨が内旋しながら前方にずれるのを抑える靱帯です。外力が強すぎたり、体重が靱帯の強さより重かったりすると断裂してしまいます。前十字靱帯を断裂したまま相撲を続けると半月板損傷が続発することがしばしばあります。お相撲さんの膝前十字靱帯断裂は比較的多い怪我です。
 私の記憶では小錦が全盛期の1986年(昭和61年)5月場所で北尾が勝ち、その時のマスコミ報道では決まり手はサバ折りでしたが、小錦の右膝が中に入ったという事で、私は当時、膝の前十字靭帯断裂治療の日本でのトップランナ―でしたので、TVでその取り組みを見て、すぐに「前十字靭帯断裂を疑いました。その後、小錦は半月板損傷を続発し、横綱にはなれずに引退しました。
 その後、故あって私は横綱審議委員に推薦され任期10年の最後の2年間は委員長を務めさせてもらいました。昨年1月場所終了後に任期10年を満了しましたが、その場所で稀勢の里が優勝してくれて横綱に推薦しました。
 現在私は平成30年5月場所で栃ノ心が大関昇進を決めたことを大変嬉しく思っています。彼の5月場所での大活躍は日本人に深く共感を呼び、大変盛り上がりました。と同時に今後相撲界は力士の怪我をどのように捉えていくか関心のあるところです。
 現在は琴奨菊、安美錦、照の富士、宇良など多くの力士が前十字靭帯断裂、半月板損傷などで苦しんでいます。
 安美錦、琴奨菊らは装具で不安定性を少なくして頑張っていますが、今回の栃ノ心が手術を受け、幕内優勝もし、その後に大関昇進を決めたことを考えると、手術を受けるのも一案だと思います。昔は土俵の怪我は土俵で治せと言われていたようですが、時代は変わっています。
 かつて照の富士が関脇2場所で大関になったころに当時理事長だった 北の湖さんに「照の富士関は何時ごろ、横綱になりますか?」と聞いたことがあります。答えは「うーん、難しいですね。このまま今の相撲を取っていると膝を痛めるかもしれません」というお答えでした。その通りになってしまい、今後どうなるか心配しています。
 相撲界では、しこ、鉄砲、摺足だけが怪我の予防につながると言っているようですが、今後は科学を採用し、前十字靭帯損傷の受傷機転の分析、治療法の解析などをすべきと考えています。
 栃の心は幕下に陥落した時に、自分で前十字靭帯損傷について勉強し、手術(再建術)を受けたいと春日野親方に申し出たようです。術後幕下55枚目まで落ちた後に頑張って術後リハビリを行い、また復活したようです。どなたが手術をしたのかは存じませんが、力士が自発的に手術を受け、術後に復活したという事は日本の整形外科のレベルがそれだけ高くなったと勝手に思っています。今後は前十字靭帯損傷で苦しんでいる力士の方々が積極的に再建術を受けてくれることを熱望しています。


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名誉教授の独り言 (185) オランダ倶楽部
平成30年 5月 3日

 横綱審議委員経験者の何人かでオランダ倶楽部という名前で時々食事会を行い楽しんでいます。Founding memberは内館牧子女史、澤村田の助丈、山田洋次監督、私の4名でしたが途中に元横審委員で弁護士の松家先生や現委員の宮田文化庁長官が出席したこともありましたが、最近は、澤村丈のお具合が悪いようで、3名になってしまいました。今後はどうなるか判りません。横審OB、OGのお楽しみ会がオランダ倶楽部というのは「どうして?」と思われる方も多いように思いますが、それには訳があります。第1回のFounding member4名でのお楽しみ会の終わり頃に、この会の名前をどうするかという議論になり、その時に私が「この会のmemberはどなたも一人で全額をお会計することが出来るとは思いますが、この会を永く続かせるために毎回割り勘払いにするのが良いと思います。割り勘を英語でDutch accountという様なのでオランダ倶楽部という名前はどうでしょうか?」と提案し、それが受け入れられました。それからもう10年以上続いている会です。
 第1回の時に山田監督から突然「私は整形外科医を恨んでいます」と言われてしまいました。何のことか判らず、「何があったんですか?」と聞いてしまいました。奥様が1年ぐらい前に亡くなられたことは存じ上げていたのでいたのですが、「家内が亡くなる数ヶ月前に主治医から、どんな治療法でも良いのでご自分のご希望の治療をお受けになって下さい、と言われました」との事で「これって死の宣告でしょう。医者と言えどもそんなことを言って良いのか」とのお怒りでした。お話をよく聞きましたら、元のご病気が骨に転移し大変お苦しみになって7年ぐらい頑張られたとの事でした。「それは奥様も主治医も頑張ったことと思います。私は整形外科医ですので病気が骨に転移した時は診察します。でも多くは余命2年前後です。奥様も主治医も頑張られたと思います。お許しを頂けますと有り難いです。」と申し上げました。山田監督から「今日は来て良かった」と言って頂きました。
 その後も年に1~2回オランダ倶楽部は続いています。何故か毎回、相撲談義を中心に楽しく2時間ぐらいがアッという間に過ぎてしまいます。でも私は最近、東京で夜8時過ぎまで過ごすのは体力的に限界に近いです。一昨日も日本相撲協会維持員会懇親会で東京に行ってきましたが、会が夜8時過ぎまで続き、自宅に帰った時には夜10時ごろでした。八角理事長、尾車理事など幹部理事や横綱、大関、関脇、小結まで総出席で楽しく、ご馳走も沢山あり、少し食べ過ぎてしまいましたが、家に辿り着いた時はクタクタでした。
 最近の相撲界では楽しい話は乏しく、大変残念に思っています。横綱稀勢の里は徐々に稽古をしているようですが主に部屋の力士との稽古であり、TVで見る限り体の締まりが悪く、今日の五月場所横綱審議委員会の稽古総見でも3勝5敗だったようで、稀勢の里を横綱に推挙した張本人として、この先どうなるのか責任を感じ大変心配しています。一日も早く相撲ファンが明るい笑顔で相撲の話が出来る日が来るのを願っています。


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