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名誉教授の独り言 (12) 麻生発言 2008年12月 3日

 麻生総理が「医師は社会常識が欠落している人が多い」とか「自分が払っている税金を、なぜ、何もしていないで遊んでいる人の医療費に回さなければならないのか」と言った、とマスコミで伝えられていますが、私としては麻生さんの意見を全面的に否定するつもりはありません。
 19年も教授をした者としては「医師は確かに社会常識が欠落した人が多い」という意見に反対する気は全くありません。中には2度媒酌人を引き受けさせられ、色々と配慮し祝辞を述べてやった教室員ですら、その後の生き方で私の意見を聞かずわがままを通したりしている人もいます。正に社会常識の欠落した医師です。そんな教室員や同門会員は沢山いました。もちろん医師として社会常識に則り、患者さんの為に素晴らしい人生を歩んでいる同士が沢山いることも事実です。でも、割合としては一般社会人より非常識人・変人・奇人が多いのが医学界だと思っています。特に最近は高校、塾などで、ただ成績が良いので医学部に入学したという人が増えています。そのような人に「医師たるものどうあるべきか」などと講釈を言っても無駄です。
 多くの医師の生きがいは
  1.患者さんのためになる。
  2.勉強になる。
  3.研究が出来る。
 ではないかと思っています。もちろんお金儲けが目的の医師もいます。先日も元厚生官僚で途中退職し美容外科を開業、不正請求をしていた医師についてマスコミで話題になっていましたが、そんな人もいます。しかし、そういう人は医師としては例外です。そして、給料さえ沢山出せば医者は集るというのが、漢字があまり読めない麻生さんの常識ではないかと思いますが、多くの医師はお金では動かないのです。やりがいのある職場に医師は集まります。
 「何もしていない人に自分の税金が…」発言は、相手によっては私も同感ですが、社会全体を見ての発言としては、立派な大人として、しかも一国の総理としては、許せない発言です。病気などで働きたくても働けない人は沢山います。我々はそのような方に何とかして社会復帰してもらおうと医学的な努力をしていますが限界があります。病気というのは好むと好まざるとに係わらず一定の割合で社会に発生するものです。従って、人間社会には病人もいれば殊の外元気な人もいます。病気の方の生活は社会が責任を持って助けるのが人間社会だ、と私は思っています。そして、その仕組みを作るのが政治です。
 麻生さんは「売り家と唐様で書く三代目」そのもののように思えてなりません。祖父である吉田茂元総理が草葉の陰で泣いているのではないでしょうか。

 

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名誉教授の独り言 (11) 医学部定員700名増 2008年11月10日

 医学部入学者定員を来春から約700名増員する事が決定されたようである。全国で医師不足が叫ばれている現状では国民にとり朗報である。最も当院のような僻地に医師が来てくれるのは何時のことか全くあてにならないと思っているが…。
 1970年頃の高度成長期真只中にも医師不足が叫ばれ、1975年に時の田中角栄宰相が全国一県一医大構想をぶち上げ、それを実現させた。当時の識者の一人が「これでは早晩医師過剰になってしまう」と田中宰相に進言したら、「ワシの所へは毎日、どこどこ医大の教授にして下さいという陳情が後を絶たないよ」と言われたそうである。結果としてこの政策で一応医師不足は解消した。しかし、当時から医師1人で年間医療費を1億円使うと言われており、1984年厚生省(当時)は医療費抑制の為に、もう日本の医師数は充分に足りているので全国にある80の医学部定員を減らすように指示を出した。いくつかの大学は色々な型でそれに従った。それが5年前に始まった卒後医師2年間臨床研修必修化で一気に勤務医が激減し、残った医師も多くが退職し開業医となった。遂には前回書いた銚子市立病院のような事態となった。
 そして、今度は増員である。何をか言わんや、である。現在の日本の総医師数は推定約31万人である。一方、国民総医療費は年間推定38兆円である。この中には健康診断費、予防接種料、お産の費用、交通事故や産業災害などの治療費は含まれていない。単純計算で、医師1人の使う年間医療費は30年前より約2000万円増えていることになる。もちろんこの医療費は医師の収入ではなく、この中から看護師さんやco-medicalの人件費、薬代、医療機器代などなどを引いた残りが医師あるいは病院の収入である。現在、日本の多くの病院の人件費率は50%前後であり、50%が病院が継続できるかどうかの境目と言われている。中には80%ぐらいの病院もあり、これらの病院は既に倒産しているか、瀕死の重態である。年間700人の医学部生が増えても6年間の医学部教育中は医療費の出費はゼロであり、その後の2年間の臨床研修中は指導医の指示通りにしかしないので、本人の使う医療費はほぼゼロである。彼らが独立して医療を行うことが出来始めるには、もう3〜4年は掛かる。ちゃんとした医療・手術を出来るようになるのには卒後10年は必要である。そのぐらいの長期的展望で医師の供給を考えなければならない。と同時に医師は現在のレベルで1人年間1億2000万円の医療費を使っているのである。そしてその人数は年を追う毎に増加していく。もちろん死んでいく医師もいるが、一般に死ぬ前の老医は最新のお金のかかる検査や治療は出来ない。患者さんの話を良く聞き、丁寧に診察し、診断する。若い、働き盛りの医師が最も医療費を使うのである。このような事態が深刻化するにはもう15年ぐらい先であろう。お役人は「そんなの関係ネー」と言うかも知れない。
 もっと賢い医療の提供の仕方、医療費の使い方は無いものだろうか。
 茨城県神栖市には私が現在勤務している鹿島労災病院(一般病床300床)の他に恩賜財団の病院(一般病床140床)とキリスト教関係の病院(一般病床230床)がある。それぞれ似たような診療をし、夜間には当直医、待機医を置いている。どの病院も経営状態は多寡の差はあれ赤字であり、さらに医師不足、看護師不足で苦労している。仮にこれらの3病院が一緒になれば、現在抱えている3病院の多くの問題が解決され、地域住民に安心・安全な医療を提供できると思うが、どうだろうか。もちろん経営母体も違うので合併には多くの困難が伴うだろうが、国あるいは県が主導権を握って断行すれば出来ない話ではないと思うのは私一人だけだろうか。これと同じ発想で千葉県山武郡で3病院の併合話の委員を経験したことがあるが、各市町村長のエゴと千葉県の消極的態度で、この話は流れてしまった。今でも残念に思っている。
 結局、国策として小手先だけの対応で事を済ませ、しかもその小手先の法案を作成した役人が出世し、どこかに行ってしまう様な行政を続けているのでは100年の計は立たない。お役人にもっと真剣になって知恵を出し、汗を流して頂きたい。

 

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名誉教授の独り言 (10) 銚子市立病院 2008年10月 3日

 遂に心配していた事が起こってしまいました。隣町にある銚子市立病院が9月一杯で休院となってしまいました。銚子市民の方々はさぞやご不便なことと思います。鹿島労災病院としても今までも協力できる範囲で協力をしてきましたが、これからは多少遠くなりますが、当院を来院される銚子市民の方々にも最良の医療を提供していくつもりです。
 どうしてこんな事になってしまったのか、詳細は知る由もありませんが、やはり「医学部卒後2年臨床研修必須化」が大きく影響していると思います。さらに、その事態に追い討ちを掛けたのが「後期高齢者医療制度」と「年金問題」だったと思います。後期高齢者医療制度は未来の日本の経済状態を考えると必要な制度だったかもしれませんが、この制度の下でこれまで扶養家族として保険料を払わずに済んだ推定約200万人の後期高齢者が新たに健康保険本人となり、その保険料を社会保険庁にどれだけ騙されているか判らない年金から天引きされたら高齢者は財布の紐をきつくして、多少具合の悪いところがあっても、病院受診も控えてしまうようになってしまいました。人間は年をとればとるほど病気になり易くなります。病気の治療の基本は早期発見・早期治療です。現在はそれが出来にくい状態になってしまっています。「老人の病院受診控え」の結果として、全国で外来・入院とも患者数が激減しています。銚子市立病院もその影響をまともに受けてしまったと思います。ちなみに、現在、全国の公立病院の約8割は赤字のようですし、これは現場がどんなに頑張っても取り返せるような事態ではないと思います。
 先日、厚生労働省関東信越厚生局健康福祉部の方が2名で来院し、「どうして銚子市立病院は休院になったのか、そして今後どうしたら良いか」を質問されました。卒後2年臨床研修必修化制度は、それを終わった若い研修医たちが、それなりに優秀に仕上がっており、その点では評価出来るものですが、その制度施行以降、地方の病院の医師不足は散々たるものなのでそのように答えました。と同時に田舎でも医師が必要なのだ、という考えを理解してくれるような医学部教育・医師になってからの制度を作って貰いたいとお願いしました。それらの意見に対する彼らの反応は意外なものでした。「田舎のような不便な所で、給料も安かったら医者が来ないのは当然でしょう。世界中で日本のように田舎に立派な病院がある国はありません。地方の公立病院は早晩、銚子市立病院と同様に全て廃院になるでしょう。」との事でした。そのような事態を回避する方策を考えて実行するのが厚生労働省なのに、これが厚生労働省の役人の言葉かと耳を疑いました。
 厚生労働省のお役人は一体何を考えているのでしょう。卒後研修医制度は始めてから5年経ったので現状にあったように改めるとか、選挙が近いこともあり、始めたばかりの後期高齢者医療制度を止めて、新しい制度にするとか、今までも何度もあった朝礼暮改を又々やるようです。外国の猿真似や思い付きで制度を作り、ダメなら又違う制度にする、の繰り返しで、とても頭のよい人たちがやっているとは思えません。もっと医療とは何か、国民はどんな医療を求めているのか、などを考えて医療制度を作り、運用して欲しいと心から願っています。
 私はもう67才ですし、大学を定年退職した身ですから、現在は欲も得もありませんので、お願いされた70才まで体力が続けば、ここでお勤めをして去るつもりですが、国が田舎の公立病院は潰れても仕方ないと本気で思っているのであれば、これからの人生のある若い医師がこんな田舎にいるとどんな運命が待っているか判りませんので、どうしたら良いのでしょう。本当に困った事です。

 

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名誉教授の独り言 (9) 名誉教授の役割 2008年9月22日

 昨年3月に千葉大学を定年退職し、鹿島労災病院の初代病院長を長くお勤めになった恩師坂巻皓先生との生前からのお約束を守って、4月1日から鹿島労災病院長に赴任しました。坂巻先生からは来てくれと言われていましたが、労働者健康福祉機構の誰からもお願いされずに赴任しました。従って給料も処遇も全く聞かされないままでした。
 さらに労災病院の事務の体質は「民に知らすべからず」そのものでした。私の赴任前は全国の労災病院で2番目の整理候補病院であったようでしたが、それも知らされていないままでした。元々、労災病院が名誉教授を病院長に迎える理由はただ一つ、大学から医師を連れてきてくれるからです。私もご他聞にもれず整形外科を6名から10名にして着任しました。そして、この1年、途中胃癌の手術を受けた為に1ヵ月半休みましたが、その外の時は10名の整形外科スタッフとはもちろん、全職員で懸命に働き、近所でも評判の病院に立て直しました。そういう中でCT、MRI, リニアックなどの設備投資をした為、最終的な収支は7300万円の赤字でしたが、これらは今後の診療に大変役立つであろうと信じています。結果として、今は取り敢えず整理対象とはなっていないようです。
 どういう訳か知りませんが、全国の労災病院の本部というところは全てにおいて絶対の権限を持っており、不足で困っている医師と看護師以外は現場がいくら必要性を説明してもなかなか増員を認めてくれません。我々の多大な努力によって10月から脳外科診療が再開できるようになったため画像診断が増えることを予想して、放射線技師の1名増員希望を出していましたが、先日、仮採用でOK, ただし来年3月までの売り上げが良くなかったら取り消すと言う返事が来ました。
 このように全てにおいて「稼げ!稼げ!」と言ってきます。国策として医療費削減を唱えているのにその外郭団体である労災病院が稼いだら「天に唾するようなもの」になるのではないかと思っています。現場は患者さんに最善の医療をしているので、後は国策で収支を考えてくれる事を期待しています。
 名誉教授の常として、出身教室の動向は大変気になります。後任の高橋教授ももう1年以上の経験を積み、今までも何かと手を貸さなければと思ってやってきましたが、独り立ちにはまだまだ時間がかかりそうです。私は退任後、教室行事をスケジュールの最優先にしていましたが、高橋教授は何かにつけて未熟であり、今後も「教授とはこうあるべし」という事を指導していくつもりです。特に教室員・同門会員・関係各位に対する配慮、人脈や学会関係などでは指導しなければならない事が、まだ多々あるように思っています。うるさいと思われるかも知れませんが、まだまだ口を出すつもりです。そのうちに高橋教授が自分で立案し、実行して行き、教室・同門を発展させていってくれると信じています。その時には私は身を引きます。
 さらに非常に多くの学会の名誉会員にさせてもらっていますが、こちらも大分お役御免になりつつあるものの、体力的にはビール大ジョッキを一気には飲めない以外は完全に回復しましたし、どうしても出席しなければと自分で思っている学会には時間の許す限り出席するつもりです。
 その他に編集委員や企画委員なども、まだいくつか引き受けており、もう現職を辞めたし、そろそろ代わりの方を、とお願いしていますが、そちらもまだ続けて下さいと言ってくださるので、辞めろと言われるまで続けるつもりです。
 もう一つ、横綱審議委員は任期が10年なので、あと8年半続けます。同時に日本相撲協会のアンチドーピング委員も仰せつかっており、現在はこれらの仕事が最も面白いし、やりがいを感じています。
 趣味のゴルフは術後ハンディキャップが15から19まで落ちましたが、夏の暑い時に頑張った甲斐があり、やっと16まで戻りました。先週末は新袖でフルバックからそれなりのスコアーでしたので次回は15に戻っているのではないかと期待してます。これからは脳味噌の8割をゴルフに使って頑張ってみようかなと思っています。
 名誉教授、即、隠遁となるにはまだまだ時間がかかりそうです。

 

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名誉教授の独り言 (8) 昨今の医療事情 2008年9月1日

 私が現在勤務している鹿島労災病院は茨城県神栖市にあります。こんな地名を言ってもなじみのある人は非常に少ないのではないかと思います。判りやすく言うとJR銚子駅から利根川に架かっている銚子大橋を渡って病院まで車で15分ぐらいの、地元では「ちばらぎ県」と言われています。気候は千葉より夏は2〜3度涼しく、冬は2〜3度暖かいという恵まれた所ですが、湿度が高いのが一寸難点です。
もう一つの難点はどのような交通手段を使っても東京から2時間以上、千葉から1時間半以上掛かるという地理的な問題です。その様な事も原因で、私が昨年4月に赴任した時には以前には常勤医が2名いた泌尿器科と耳鼻科がパートになってしまっており、脳外科は1名いた常勤医が本年4月に退職し都会へ行ってしまった為、休診状態が続いています。現在、労災病院としては片肺飛行の状態で何とかやっているというのが実情です。
 それでも独立行政法人労働者健康福祉機構の本部は機構の存続のために口を酸っぱくして稼ぐように言ってきます。国・厚生労働省が医療費の削減に躍起となっているのに、その外郭団体から「稼げ!稼げ!」と言われるのは何とも皮肉な話です。本部から言われるほどには稼げないのは何と言っても医師不足が原因です。こんな僻地の病院では卒後2年臨床研修必修化制度の下では医師が徐々に辞めていくのも仕方ない事でしょう。
 卒後2年臨床研修必修化制度の発足当時からこうなることは我々でも予想できた事ですが、ここへ来て、あまりにも地方医療の崩壊が顕著になり、厚生労働省は慌てて「安心と希望の医療確保ビジョン具体化検討会」を作り、医学部の定員を来年度は入学生を500名増員し将来的に(いつまでかは明示していない)全入学生総数を現在の1.5倍の1万2000名にするまで増やすという取りまとめ案を了承しました。この案が今後具体化していくのにはかなりの財政確保と医学部内の教育スタッフと勉強スペースの確保を必要としますので、当面は500名増、一大学6名増程度が限界かも知りません。それにしても医学部6年間、その後10年以上研修してやっと一人前になるのが医師ですから、500名の増員分が国民の要望に応えられるようになるのは約20年後です。
さらに厚生労働省は「医師養成見直し検討会」を文部科学省と一緒に作りました。この検討会の結論として卒後2年間の臨床研修を大学病院でやれば1年、その他の病院でやれば2年にするという制度に変えるのだ、という噂が出回っていますが、こうすれば新研修医は大学に集り、かつてのように大学から地方に医師を派遣してくれる(かつての厚生省が最も嫌がったこと)と考えているのではないかと思います。
 しかし、一度起こった流れは目先の制度を少しいじっても変りません。現在は、ちゃんとした診療をし、手術や高度の検査をする勤務医が足りないのです。どうしてちゃんとした医療を行う勤務医が足りないのか、それは勤務医と開業医の労働時間と収入に著しい格差があるからです。勤務医の過重労働はかなり以前から問題になっていますし、月間100時間以上の時間外労働はよくある話ですが、仕事のやりがいがあり、しかるべき報酬があれば、若い人たちは文句を言いません。しかし、我々勤務医の年俸は開業医の所得税にも及ばないのが現状であり、この税制、給与の制度を変えない限り、やっと一人前になった医師は諸般の事情で必要が生じれば開業し、国民が必要としている医療現場から立ち去ることになってしまいます。
 このような事態になってしまった医療現場をかつての赤髭先生のような状態に戻すことは至難の業です。しかし、ただ単に開業医より勤務医を大事にするとアメリカの医療のように金儲け至上主義になるでしょうし、医者も他の労働者と同じような社会的扱いにすれば優秀な人材が集らず、結果として、かつてのソ連や中国のような貧しい医療になってしまうでしょうから、どうすれば良いかは大変難しいところです。願わくは、かつての日本の医療制度の根幹にあった「医は仁なり」の精神で医療を実践してくれる医師が増え、それを支える医療制度が構築され、患者さんが医師を信頼してくれるようになればと祈っています。
 最後に個人的なことですが、胃癌の術後8ヶ月が過ぎ、大変元気です。ゴルフは7月、8月は5回ずつラウンドしましたし、手術は週に3〜4例しています。今困っているのは、胃が小さくなってしまったためにビールは小ジョッキしか飲めないことだけです。



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ゴルフは楽しい
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ナイスショット

 

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名誉教授の独り言 (7) 「高齢になって判ったこと−結局は同じ」 2008年7月11日

 当地も初夏を迎え、あちこちの空き地に色々な花が咲いています。一番目立つのは、大錦鶏菊(オオキンケイギク)ですが、そのほかにも一般には月見草と言われている大待宵草(オオマツヨイグサ)、小待宵草、各種の松葉牡丹、その他に名前の知らない多くの野の花が咲き乱れ、大変美しい光景です。大錦鶏菊は外来種であり、以前はもっと大きな花が一面に咲いていたようですが宅地造成と共に花も小振りになってきたようです。
 鹿島労災病院のある神栖には終戦直前に神之池あたりに内閣中央航空研究所があり、悲劇の人間ロケット「桜花」の訓練をする神雷特攻隊が駐留していたので、終戦間際の昭和20年の初夏に神雷特攻隊が神栖から飛び立った時に、あたり一面に黄色い大錦鶏菊が咲いており、この事から別名「特攻花」と名付けられたという話もあり、それが事実とすれば大変悲しい物語です。
 私は5月13日に誕生日を迎えて67歳になりました。教授在職中に比し、このところ精神的に大変楽な日々を過ごさせて頂いております。皆様に大変ご心配をお掛けしました胃癌の術後経過も順調で、術後6ヶ月でビールも小ジョッキーなら大丈夫になりました。大ジョッキーだと泡が胃の中に残り、その後の食事がまだ少ししか入りません。ラーメンは消化が悪いという事でまだ試していませんが、それ以外は全て食べられるようになりました。快食、快眠の日々です。
 その私も、大学にいた頃は夜中の2時から3時にかけて必ず目が覚め、その後寝付けず、明日の仕事の為にデパス1錠を缶ビール1本で飲み、2度寝をせざるを得ませんでした。今、考えて見ますと散々飲んだ後に、寝つきが悪いことが心配で、デパス1錠とセルシン2mgを少々のウイスキーで飲んでベッドに入っていたのが悪かったと、最近やっと判りました。そのやり方は悪いと散々、家内(薬剤師)に言われていたのですが、昼間の仕事を考えると、どうしても止められませんでした。でも、飲みながら食事をした後に、少々とは言え寝る前にウイスキーを飲むのは寝つきを良くするものの、クスリが早く体内を回り、その分、効果時間が短かったのは当然の事と今では納得しています。最近は食事の時に少し飲み、night shotは止め、水でデパスとセルシンを飲むようにしたら朝までグッスリ眠れる夜が多くなりました。
 大学時代は私が教授をしていた期間だけで新規入局者224名(年間平均13名)、医学博士(甲)取得者118名、(乙)取得者82名、留学経験者44名、媒酌人130組、その他諸々、非常に多忙でした。一番大変だったのは関連病院の人事でした。今の教授は、現在の医療体制の中で、それなりに苦労しているのは重々承知していますが、逃げ道として、国が悪政を敷いているので、といえば済むようで羨ましい限りです。学位論文制作も大変でしたが、これは多くの優秀な教室員と基礎医学教室の先生方に助けられて出来たことでした。諸々と大変で、家内にも非常に迷惑を掛けました。何と言っても結婚する時の家内の出した唯一つの条件が「教授にならないならproposeをお受けします」でしたので、井上教授が早逝し、私にお鉢が回ってきたとは言え、約束違反で今でも申し訳無いと思っています。もっとも結婚した頃は入局3年目で上都賀総合病院に勤務していた頃でしたし、教授になんて絶対なれるものではないと思っていましたし、なりたいとも思っていませんでした。人生の巡り会わせというのは皮肉なものです。
 いろいろと努力した大学生活でしたが、今となっては長く勤務医生活をしていた人達と同じような生活をしています。何であんな苦労をしていたのか不思議な位です。何となく人生というのは、結局、同じような結果になるような気がしてなりません。人を押しのけてまで偉くなろうとしたり、他人の悪口を言ってまで自分を高く見せようとしたりしても、所詮、人は落ち着くところへ落ち着くような気がしています。他人に嫌われず、後悔の無い人生を送れたら最高なのだろうと思っています。私の場合は運良く横綱審議委員にまでなれたのだから頑張った甲斐があったのかな、とも思い、心境は複雑で、後輩達にどのような人生を歩むべきと言おうか迷っています。



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大錦鶏菊 (別名 特攻花)

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大待宵草

 

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名誉教授の独り言 (6) 「点取り虫。」 2008年6月10日

 昨年3月に教授を退任した時には、本当にホッとしました。教授職の重責から解放されるというのはこんなに気が楽になるのかと思いました。整形外科教授室を3月31日には空っぽにしたのですが、実は教授在任中に空けずにいた戸棚があり、そこを空けたら「千葉大学医学部整形外科学教室裏教室史」みたいな資料が沢山出てきました。色々興味ある資料が出てきて「あー、そうだったのか!」と思う事もいくつかありましたので、ここで詳細を書きたいところですが、色々な影響を考えると、そうはいきません。シュレッターを2台使い、1日がかりで全て消去しましたし、私の記憶からも消失しました。その後、高橋助教授が教授に選出されましたが、教授室には何かのついでに数回しか行っていません。もう、教室は高橋教授と現スタッフに任せましたので余計な口出しはしていないつもりです。実を言うと、これは少し寂しい感じもしますが、この方が良いと思い、している次第です。
 私の胃癌も術後経過はすこぶる良好であり、家内も先日の健康診断で大腸内視鏡まで行い、全く異常が無かったので、これを機会に、これから2人で予定を立てて人生を楽しむつもりです。家内は半年ほど休んでいたゴルフを再開しましたし、5月21日からは日整会参加の為、2人で札幌へ行き、楽しんできました。今回の第81回日本整形外科学会学術総会には6000名以上の整形外科医が札幌に集合し、16箇所の会場で熱心な発表や討議がなされました。難を言えば会場が一箇所にまとまっていなかった為に巡回バスが頻回に回っていたとはいえ、少し不便な感じがしました。学会1日目はせっかくカミさんと行ったのだし、学会をサボらせて頂き、少しは観光をと思い「積丹岬バスツアー」に行きました。圧巻は神威岬で強風の中、往復1時間かけて岬の突端まで歩いて行って来ました。帰りに小樽に寄り裕次郎気分になり、余市ではニッカウヰスキー工場で試飲を楽しんできました。その日の夜の全員懇親会の後に松野誠夫先生のお誘いで杉岡洋一先生を始め数人で別会場に行き、楽しいひと時を過ごさせて頂きました。
 今回の学会で最も目立ったことは専門医維持の為の点取りに会員の多くが熱心だったことです。日本整形外科学会は専門医維持の為に5年間で50単位を取得しなければならない規則になっており、この学会は大量に単位を取得する絶好のチャンスだからです。何でこんな講演にこんなに参加者がいるの?といったような会場もあったぐらいでした。このように多くの学会員が出席し、熱心に講演を聴き勉強することは大変素晴らしいことですが、残念ながら、法律上はまだ専門医であることの経済的な利点は全く認められていません。専門医が診察・治療しても、研修医が診察・治療しても料金は全く一緒です。厚生労働省は国家予算の困窮を理由に当分専門医を優遇することはしないのではないかと私は思っています。しかし、何か医療事故のような事が起こった場合には専門医でないとその辺をとがめられる可能性はあり、整形外科医はそれが怖くて点取り虫に走っているような印象があります。整形外科医は真面目で小心ですから良く勉強していますが、どこかでプッツンしたら、どうなるか心配です。私はもう名誉会員ですが、それでも専門医として継続を希望する場合は必要点数を取らなければならないという事で、今回アメリカ人とカナダ人の招待講演の座長をした分は点数を頂きましたが、年齢を考えると今後どうするかわかりません。そういう会員も多いのではないかと思っています。
 先週日曜日は大学同期の森田清先生、喜崇子先生ご夫妻が私のお見舞いを兼ねて千葉まで来て下さり、我々夫婦と4人でゴルフを楽しみました。森田御夫妻は大変穏やかな会話を交わしており、普段のがさつな連中とのゴルフとは異なり、大変楽しいラウンドでした。


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絶景の神威岬の灯台を背に。   第17会場 豪華な顔ぶれによるパネルディスカッション
「これからの関節外科」

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名誉教授の独り言 (5) 「医療崩壊」 2008年4月21日

 全国で病院が廃院になったり、規模縮小になったりして、地域住民に多大な迷惑をかけている。直接の原因は、そうなる事を予想できなかった厚生労働省、文部科学省の見込み違いの政策である。10年前に文部省(当時)は医師数は十分に足りているので医学部の入学定員数を減らすように指示している。当時、医師は一人で医療費を年間一億円使うと言われていた。医師数を減らせばそれだけ医療費が減ると厚生省(当時)や文部省(当時)の役人は単純に考えていたのだろう。役人の頭は進歩していないが、医学は日々進歩している。最新の医療は金と労力が掛かる。という事は取りも直さず、真面目に患者さんに最善の医療を提供しようとすれば、医療費は年々高騰し、真面目な医師は必ず足らなくなると考えるのが常識である。役人達はその常識を持っていなかったのだろう。
 千葉大学医学部では役人たちの要望に応えて定員を100名から95名にし、文部省から「良い子だ」と言われ、何かご褒美を貰ったように記憶している。その頃も医学部卒業後に基礎医学を研究する人が少なかったので、理学部などで基礎医学を学んで卒業した人を学士入学と称して3年生に5名を入学させて数合わせはした。学士入学生は卒業後基礎医学に行く事を期待していたが、現実は基礎医学に行った人はほとんどいなかった。
 その後に新医師臨床研修制度が出来、大学への入局者が激減した。そうこうしている内に病院勤務医が辞めだした。彼らの多くは過重労働や患者さんからのクレームに耐え難くなり、医療訴訟を嫌い、昼間だけ外来診療をし、当直やストレスになる手術や難しい検査などはしないで済み、しかも経済効率の良い医療として、病人と健康人の境目の人を主に見る安易な道を選んだのである。医師が足りないのではなく、本当の病人に対して医療をする医師が医療現場から立ち去ってしまったのである。大学が医師を呼び戻した例は稀であり、勤務医の希望で現状が生じたと思っている。
 医療崩壊は特に地方で著しい。私が現在勤務している鹿島労災病院は銚子市に近いが東京からはどのように来ても約2時間以上かかる。これだけでも諸事情を考えると、医師や看護師に来て貰うのは大変難しい。当然の事として医師不足は深刻であり、当院でもこの4月からある科の医師が退職し不在となった為、現在その科は休診中であり、内科も外科も医師数が足りず四苦八苦している。その他の科も足りないづくしだが、何とかやりくりしている状態である。
 公立病院が苦境に陥った原因の一つは市町村長(首長)を含めた役人の知識不足、認識不足である。ほとんどの公立病院での服務規程は以前の公務員と同じであり、定員も決められたまま(従って労働時間が長くなる)、医療機器の更新やある程度のお金のかかる建物の改修などは、なかなかお役所の了解を頂けない、などなど時代の流れに全く対応出来てない状態である。医療は金のかかるものである。患者さんの負担を出来るだけ軽くする為に医療保険制度があるのだが、今の医療保険制度では病院がまともな診療をして、経費を上回る収入を得るのは難しいのに、その辺をお役人は理解してくれない。当院もその例にもれない。
 では、どうしたらよいのか。私は立場上「医師としての使命感を持て」とか「これからは開業医の時代ではない」とか「人生で本当に必要なものはお金ではなくプライドだ」などと言っているが、アメリカ経済の「お金持ちが偉い」という悪魔の考え方にどっぷりと漬かってしまった現状を改善するのは非常に困難である。
 私見としては後期高齢者医療制度でも長寿医療制度でも良いが、ある程度の健康保険料の義務は仕方ないにしても、医療そのものは公的資金をある程度出してもらいながら、役人に威張らせない形で、しかも国民に最良の医療を提供できるような形での公営にし、医師を全て公務員にすべきと考えている。当然のこととして旧ソ連の失敗例や中国の現状などが脳裏をかすめるが、現在のようにアメリカ流の儲けるための医療がどんどん広がっていき、そしてそれが良いことだという風潮には腹立たしい思いがしてならない。
 これが最善の策だとは思わないが、それ以上の解決策は考え付かない。



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名誉教授の独り言 (4) 「名誉教授も無報酬です」 2008年4月11日

 千葉大学の名誉教授の称号を頂いて、もう1年になります。名誉教授というのは有難い名前ですが、実質的には千葉大学の名簿に名前が載る事と千葉大学の図書館に自由に入ることが出来る事ぐらいの権利しかありません。でも、結婚式で祝辞を述べるときに司会の人は「千葉大学名誉教授の…」と紹介し易いようです。最も横審の方が受けは良いようですが…。教室の若い人でも名誉教授なら給料的なものが出ていると思っている人がいますが、実際には一銭も貰っていません(千葉大だけかなー?他の大学はどうなっているのかなー?)。無報酬である点は横審と一緒です。それどころか私は来月67歳になりますが、現在も働いて給料を貰っていますので、共済年金も一銭も貰っていません。その上、給料から厚生年金関係の掛金を月々5万円ぐらい天引きされているようです。これで早死したらどうなるのかと事務に聞きましたら、「安心して下さい。死亡一時金があります。」と強く慰められました。安心すべきかどうか悩んでいます。
 鹿島労災病院の勤務には原則として(月)〜(金)は院長宿舎を利用し、週末は千葉の自宅で過ごすことが多いです。と言っても、もう息子は独立していますし、常に一緒にいるのは家内と愛犬コロです。鹿島と千葉の二重生活で家内にもコロにも申し訳ないと思っています。東京で用事があったりすると、その夜は千葉に泊まり、翌朝、特急で銚子駅に来て病院の車で迎えに来てもらい出勤することとなります。特急の中で九十九里ホーム病院長の岡崎先生と会って色々話をするのは楽しみの一つです。家内とコロはその後に家内の安全運転の車でとことこと夕方までに宿舎にたどり着いています。
 横審やら編集委員やら企画委員やら、まだ何かと命じられており、大学の時と違い秘書さんもいないし、年のせいかもしれませんが自分でもスケジュールを勘違いしてしまうこともあるので、最近は何でも手帳に書くようにしています。基本的には、出なくて済むものは出ない、出たくないものは胃癌を理由に出ない、というのが現在の私の方針です。
 病院では週に外来1日ないしは2日、手術は人工膝関節置換術、ACL再建術、関節鏡視下手術などを中心に2〜3例というペースです。院長職を真面目にやっているつもりですが、教授職と比べて精神的にも時間的にも1/10ぐらい楽な仕事だと感じています。かつて東大の津山直一名誉教授がやはり1/10と言っていたという話を聞いたことがありますが、私も同感です。現職の教授時代より良く眠れますし、アルコールの量も眠剤の量も減りました。
 ゴルフの回数は病気をしたということもあり、非常に減りました。でも腕前は以前と同じ位で、2週間前の病院のコンペでは41,46でした。こんなもんでしょう。
 私の病気のこともあり、しばらく止めていた狭い院長宿舎でのホームパーティーも再開しました。先日のホームパーティーでは家内の手料理と皆様の持ち寄り料理と4月から整形外科に赴任した元力士の北原聡太先生の豪快なちゃんこ鍋で楽しみました。これから回数が増えるのを楽しみにしています。
 仕事の方は厚生労働省の医療政策が正に朝礼暮改で、そんなものに振り回されていては精神的に悪いので、今年はこのように当院の職員と楽しく過ごすことを第一に考えようと思っています。先日、労働者健康福祉機構(労災病院の本部)の担当理事から「入院患者数が少なくなってきていますが…」と電話が来ました。「病院職員は一生懸命働いますが、それがどうかしましたか?」、と言いましたら後は黙ってしまいました。私としては目の前の仕事を粛々とこなしながら、横審と週末のゴルフを楽しむつもりです。それで病院が赤字になって本部から何か言われても、それは制度が悪いとしか言えないのではないかと思っています。



鹿島
快気祝い

ケーキケーキをいただきました。

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名誉教授の独り言 (3) 「医師不足」 2008年4月8日

 随分と長い間、大学にいたので医師不足を実感しないで済んでいたが、鹿島労災病院に来てから、それが実感となった。一言で「政治が悪い」、「医局制度が悪い」、「新医師臨床研修制度が悪い」などと言ってしまえば確かに、それらの全てがその通りだが、現実には、その他に色々な原因が重なり合って現状となっているのではないかと思っている。
 世間には通用しないと思うが、私は原因の一つとして医者側にも大きな問題があると思っている。私は現在の鹿島労災病院に赴任してから、待遇が悪いと文句を言った医師一人、医療機器が古いと文句を言った医師一人、田舎なのでと文句を言った医師一人を喜んで辞めて貰った。その結果、医師不足となり、診療が満足に出来なくなってしまった科もある。
 給料は確かに安い。現在プロ野球の一軍最低保障年俸は1500万円だそうだが、院長の私(医師免許証あり、千葉大学名誉教授、横綱審議委員など)の年俸は税込みでもそれに及ばない。安いといえば安いが定年過ぎのロートルに好きな医学をやらせてくれる上に、院長先生と敬ってくれ(本心かどうか判らないが)、必要に応じてボロとはいえ院長車(10年、20万キロ走行)で送り迎えしてくれる、有り難い事である。副院長以下は私より給料は安いに決まっている。私が謝る筋合いではないが大変申し訳ないと思っている。しかし、医師といえども給料はそんなに高くないものだ、と始めから思っていれば充分に生活し、家庭を守っていける額ではある。
 医療機器は年々新しい素晴らしいものが開発されている。あるいは開発された製品が輸入されている。誰だって最新の機器を使い最新の診療をしたい。もちろん一般診療に支障の無いように出来るだけの機器整備はしているつもりだが経済的に限度はある。その一つ一つに不満を持っていたら診療を続けていけなくなる。そうなると辞めてもらうしかない。
 田舎だから辞める。それも良いだろう。しかし、田舎には田舎の良い点もある。何と言っても空気は抜群に綺麗だし、人情が素晴らしい。都会へ転勤して苦労しなければ良いがと余計な心配をしている。
 江戸時代から第二次世界大戦が終わった昭和20年までは日本の医療は原則として無料であった。その間に名医といわれた多くの医者は死んで借財だけを残した。戦後、健康保険法が出来、医療費が出来高払いになってから、医者が儲かる仕事になってしまった。
 しかし、数年前にまだ私が現職の教授の頃、医学部に入学したての学生に医学部を選んだ理由を質問した時には、「世の為、人の為になりたいから」が7割であった。その後の学生生活、研修医生活などを経て考えが変わってしまうのかも知れない。医者が安楽な生活を求めれば当然の事として、厳しい勤務の科や患者さんから直ぐに文句を言われたり、訴えられたりする、場合によっては警察に逮捕されるような科は避けるだろうし、より高い給料をくれる病院へ移るだろう。
 私が前期研修医の途中で医局に呼戻された時に、大学の近くに住む所も無く、上下にあまりガラの良くない夫婦が住んでいた2DKの市営低所得者用高層アパート(千葉市で使っていた公式名称)の3階に入れてもらい、ボロの中古車で大学に通った頃を思い出す。あの頃は志だけは高かったが、お金の事はあまり考えてなかったように思う。あの頃を思い出しながら、医師自身が「どうして自分が医師を目指したのか、若い時に医師としてどのような将来像を描いていたのか」、今、改めて考え直してみるべき時期ではないだろうか、と思っている。

鹿島労災病院早朝の鹿島労災病院

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名誉教授の独り言 (2) 「横綱審議委員(横審)」 2008年4月4日

 現在、私は紋切型の鹿島労災病院長の名刺と相撲字で書いた横綱審議委員の名刺を持っています。普通は病院長の名刺を出すのですが、相手が偉そうにしている時は横審の名刺を出すようにしています。横審の名刺の方が圧倒的に好評です。
 大学で定年退職まで働きましたし、もう、あまり真面目に仕事をしたくないなーと思っている頃に、私の患者さんの一人で歌舞伎役者さんで人間国宝、横審を務めている方のご推薦で、横審の話が来ました。お引き受けし、実際にやってみたら非常に楽しい役職でした。一般の人では知り得ない様な話がごろごろしていて、最近では、差しさわりの無いところだけでも、スライド無しで1時間の講演が出来るほどです。といっても横審は全く無報酬ですし、東京で場所が開催される時に稽古総見と場所中に場所総見と称して一日御招待がありますが、それ以外に相撲を観に行くのは全て自前です。こうゆうのを道楽というのかもしれません。でも楽しいんです。
 そもそも横審は定員15名、現在は12名の委員で構成されており、私は歴代33人目の委員だそうで私の委員用金バッジには33と刻印されています。任期は1期2年、5期まで可という事で10年間務めることができます。医師では東大内科教授だった上田英雄先生以来の二人目だそうです。現在の委員の中に、かの有名な内舘牧子さんも居られます。初めてお会いした時に自己紹介をしましたら、内館さんから「整形外科医ですか? 私の憧れの職業! 生まれ変わったら整形外科医になりたいんです。今度一緒に食事に行きましょう」と言われてしまい、大変戸惑いましたが、今やボーイフレンド役を務めています。
 そのような関係で昨年の9月場所では、内舘さんから砂かぶりの一番前の席のチケットを頂き観戦していたら、突然女性が土俵に上がろうとして走ってきたので、慌ててその女性の脚を引っ張って神聖な土俵に上がるのを阻止し、大相撲の歴史に傷が付くのを防いだりと楽しんでおります。
 私が横審に就任すると同時に大関白鵬が優勝し、その次の場所も素晴らしい相撲内容で優勝、5月28日の横審で満場一致で横綱に推挙しました。明治神宮での横綱白鵬への横綱の贈呈式、続いて奉納土俵入りと最前列で見物させて頂きました。そして、その次の場所は琴光喜が大関に昇進、と横審を楽しんでいたのですが、その場所が終わるや否や横綱朝青龍のモンゴル帰国問題が起こり、横審の中のただ一人の医師として何度か委員会やテレビでコメントを求められました。結局、やっと朝青龍が再来日し、マスコミにも横審にも詫びを入れ、一件落着しましたが、今後が心配です。
 今、相撲界ではアンチドーピングが大きな問題になっています。現在の力士さんがドーピングをしているかどうか知りませんが、文部科学省の下部組織である日本相撲協会はアンチドーピングをしなければなりません。谷町からのプレゼントで贈った方も贈られた方も知らずに禁止薬剤が入っていることも考えられますし、相撲界全体で早くアンチドーピングの知識を持ってもらいたいと思っています。私も横審を務めているただ一人の医師としてアンチドーピング委員会のメンバーであり、アンチドーピング精神に則り仕事をしたいと思っており、委員会の折は鹿島からはるばる両国まで特急列車で駆けつけています。近く本格的なドーピングチェックが始まるでしょうから、1年後ぐらいには大相撲界もドーピングとは無縁な社会になると思っています。
 日本人は相撲が大好きです。その大相撲の横審として国技の発展のためにこれからも楽しみながら、微力を尽くすつもりです。


横綱白鵬と共に
女性が土俵に上がろうとしているのを阻止

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名誉教授の独り言 (1) 「三代目は胃癌でした」 2008年4月2日

 昨年3月に定年退職し、さほど日もおかずに助教授だった高橋和久先生が教授に選出され、心より安堵しました。私の在任中に「売家(うりいえ)と唐様で書く三代目」と言われないように、自分の健康も省みず頑張った甲斐がありました。高橋教授にはこれから四代目として頑張って欲しいと思っています。
さて、ご存知の方も多いと思いますが、千葉大学医学部整形外科学教室の初代鈴木次郎教授は56歳の時、東京駅でニトログリセリンを手にしたまま急逝なされました。二代目の井上駿一教授は57歳の時に肝細胞癌に侵され、入院治療6週間あまりで他界されました。
そのように歴代の教授が短命でしたので、私は三代目として何時お迎えが来るかヒヤヒヤしていましたが、幸いにして定年まで勤めることが出来、定年と同時に鹿島労災病院長として勤務することが出来ました。自覚的には心身ともに元気なつもりで働いていたのですが、病院で「人間ドック」をしているというので一応受けてみるか、というような安易な気持ちで胃カメラをして貰いましたら、何と胃癌が見つかってしまいました。そういえばこの10年ぐらい忙しいことを言い訳に胃カメラなどしていませんでした。
それなら早く手術をして貰わないと三代目も短命の仲間入りをしてしまうと思い、早期癌であったこともあり、当院の徳元副院長・外科部長にお願いし、昨年12月20日に開腹しての手術をして貰いました。術前には胃カメラでの手術や腹腔鏡による手術も勧められましたが、私は悪性腫瘍を現在の内視鏡技術ではやるべきではないと考えており、開腹による手術をお願いしました。
術後経過はすこぶる良好で術翌日から点滴スタンドを引っ張りながら勤務室に顔を出し、術後1週目ではリハビリテーションとしてパターの練習を開始し、2ヶ月から一日三食、ワインも食欲増進程度に飲み、ゴルフのラウンド開始、3月末の潮来CCでの病院コンペでは41,46でベスグロでした。現在は、ほとんどのものを食べていますが、ビールとラーメンはまだ良くないようです。ビールはゴルフの後に入浴したら喉がカラカラになってしまい、2度ほど試しましたが、直ぐに泡で腹一杯になってしまい、その後の食事はもちろん、翌日の朝食も食べられなくなってしまいましたので、まだ止めています。ラーメンは良く噛まずに食べてしまうので消化不良になってしまうと管理栄養士さんから言われていましたので、まだ食べていません。でも私の回復が非常に良いので、管理栄養士さんからラーメンを食べてみて、その結果を教えて下さいと言われています。でも、そんな馬鹿なことはしていません。
せっかく癌になったので、つまらない研究会などは術後を理由に帰ってきてしまうようにしています。そのようにしても誰からも文句を言われないので助かっていますが、「守屋先生はどうも術後の具合が良くないようだ」と陰口をたたいている人もいるようです。
その他に癌になって良かったなーと思えることがあります。もし胃癌が再発したら今の医学では大体半年で「さようなら」でしょうから、そのぐらいだったら家族にそんなに迷惑をかけないで済みますし、もし再発しなかったら、私の選んだ病院(当院)、 術者(徳元先生)、治療法や気力が癌を克服したと自慢できると思っています。もう医者としてこの世でなすべき義務は十分に果たしたと思っていますので、このように考えられるのかも知れません。
現職教授のころには「教授のつぶやき」を書いており、かなり好評でしたので、教室からの勧めもあり「名誉教授の独り言」というタイトルで、その時々の話題について書いていこうと思っています。どうぞ、ご愛読下さい。


術後1週間、お見舞いのお客さんと談笑
ゴルフの師匠等に見守られながらパターの練習






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