守屋秀繁名誉教授の独り言
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名誉教授の独り言 (172) ご無沙汰しました。
平成29年 6月13日

 前回は再発胃癌でご心配をおかけしました。残胃に出来た直径5mmぐらいの胃癌は胃カメラでの粘膜切除で治ったようですが、術後は、お酒を1ヶ月止め、消炎鎮痛剤は2ヵ月止めました。最近やってもらった胃カメラでの再検査で胃癌だったところは治っていました。その後の問題はピロリ菌でした。3年前に血液検査でやってもらった時は陰性でしたが、今回の呼気テストでは弱陽性とのことで薬を飲むことになりました。この薬は相当に強い抗生物質のようで、服用していた1週間とその後の数日間は常にトイレのことが気になり大変でした。その間のゴルフは6月1日45,53、と㋅11日53,50でした。体力もゴルフ力もどうやら回復したようですが、何となく体がふらつきます。そのような中、どういう訳か分かりませんが、講演依頼が相次いでいます。千葉大学名誉教授であり、日本相撲協会横綱審議委員会第14代委員長という肩書が良いのかもしれませんが、多くは町内会やスポーツクラブの人から依頼で、労多くして益少なしです。特に安い講演料の予定は忘れそうになっているので、家内にマネージャーをお願いしようかとも思いましたが、こんな売れないタレントのような仕事はそう長くは続かないと思うので、家内も真面目に聞いてはくれません。でも、秋までの講演依頼は8件あります。もう来年に、というのもあるようです。
 昨年パソコンが壊れてしまい、新しいパソコンでの色々な操作が判らず、最近はスライドなしで講演をしています。一応絵を描いた方が良い場合は「ケーシー高峰」風にホワイトボードだけは用意してもらっています。考えてみると落語家や講談師はスライドなど使わずにしゃべっているので私もそれでも良いかと思っています。でも、今までスライドに沿って話を進めていたので、スライドがないと話があちこち飛んでしまい、どうやって元に戻すかが問題になってしまうこともあります。どちらにしても、そんなに大事な話をしている訳でもないので、何とかなっているようです。
 本業の医者は中々辞められません。多くの人の意見では健康の面からも無理のない程度なら続けた方が良いと言われ、取り敢えずは少しだけ続けています。現在のような医者なら30歳前からでも出来ただろうなー、と思うような楽な仕事です。でも、これを若くして本業にしていたら人生に飽きてしまっただろうと思います。やれることは、レントゲンを撮り病気の説明をし、痛いという人に痛み止めを処方し、膝や肩に関節内注射をし、足底版や腰仙ベルトを発注するぐらいで、それより重症の人はしかるべき後輩に紹介状を書きお願いするだけです。こうして考えると手術をしたり、難しい研究をしたりなどは今更ながら大変だったと思います。
 それにしても疲れやすくなりました。半日外来をすると昼寝したくなりますし、1日歩いて18ホール廻るとくたくたです。でも、今週は(月)、(金)に午前中だけ外来、(水)、(土)に講演とその後の宴会、(木)午後にある奨学会の選考委員会、日曜日には静岡でゴルフです。来週は使い者にならないのではないかと心配しています。稀勢の里の怪我も予想通り治ったようですし、7月場所に高安と共に大活躍してくれることを願っています。


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名誉教授の独り言 (171) 再発胃癌
平成29年 4月25日

 昨年11月始めに、年に一度の胃カメラを受けました。胃癌術後10年目でした。胃カメラ後に主治医が変な顔をして「生検をしましたので1週後に来院して下さい」と言われ、行ったら「異型細胞が出ているので癌になる前に取ってしまいましょう」との診断でした。胃に異型細胞があると言われたら、ほとんどは癌なので覚悟して胃カメラでの粘膜切除を受けました。結果は胃癌の再発でした。実は術後7年目ごろに「異常なし」の診断だったので、親友である名医の鈴木一郎君に「もう良いかな?」と相談したら「正常だった胃に癌が出来たので、残っている胃にまた癌が出来る確率はあるので定期的に胃カメラはやってもらった方が良い」との言葉に従った結果でした。一般的に術後5年もするとなんとなく胃カメラをしなくなるようですが、私がそうしたら今回のように再発胃癌を見つけることはできなかったと思います。もし胃癌体験者の方がこのブログを読んでいるようでしたら、人生を諦めるまで年に1度の胃カメラをお勧めします。
 入院は7日でした。3日目ぐらいにはすっかり元気になりましたので、退院を申し出たのですが、術後クリニカルパスは入院9日になっているのでおまけしても7日はいてもらわないと困る、ということで退院させてもらえませんでした。私自身は約30年間、教授をしたり、病院長をしたり、病院事業管理者をしたりで我儘でしょうがないと自覚していますが、何より不満だったのは流動食、お粥が不味かったことです。もう少し塩気をつけるとか、だしを入れるとかしたほうが良いと思いました。こんなに不味い食事を出して7日間も元気になった老人を入院させておくのは不合理であり、食事指導をして、もっと早く、患者の責任で退院させるべきと思いました。
 術後の主治医の説明では粘膜を切除したところはクリップで縫縮したが少し出来なかったところがあり、胃潰瘍状態になっているので、術後1ヶ月は禁酒、2ヵ月はNSAIDS禁止とのことでした。お酒は守れましたが、NSAIDS禁止は守りましたが辛かったです。以前から腰痛があり特にゴルフの時にはNSAIDSが必要でしたが、今回は温湿布などで頑張りました。2ヵ月近くなった時に、「そうだ、座薬を使えばよいのだ!」と思いつきました。整形外科医としてはお粗末な話でした。でも、これは主治医が言ってくれてもよかったかな、とも思いました。
 術後2ヶ月ごろ、腰は痛いし、食欲は進まないし、体重が2Kgぐらい減少し、それがなかなか回復しませんでした。消化器の病気は整形外科とは違うなー、と思いました。さらに1月は稀勢の里が横綱になれるかもしれないという毎日でほぼ毎日両国に通い、砂被りに3~4時間座っていましたので、腰痛はさらにひどくなり、体調回復には悪影響がありました。
 最終的に術後2ヶ月での胃カメラで粘膜は回復しており、体調も術後3ヶ月ごろから回復してきました。
 稀勢の里は1月場所優勝し横綱になりましたし、さらに3月場所でも、左肩周辺を負傷しましたが連続優勝し、万々歳でした。これでゴルフが復調すれば文句ありません。


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名誉教授の独り言 (170) 講話
平成29年 4月 7日

 先日、千葉大学大学院修了式で講和を話すように学長からご依頼を受け、柄にもないと一度はお断りしたのですが、結局お受けすることになり、話しましたので、その要旨を書きます。

 本日は千葉大学大学院修了、誠におめでとうございます。ご父兄の方々にも、心よりお祝いを申し上げます。大学院修了生は、晴れて今日の日を迎えることとなりましたが、今後、社会に出る人、研究を続ける人と色々な道があると思います。皆さんが世の為、人の為に役立つような人生を歩んでくれることを願っております。
 私は、大学院修了生の皆様を非常に羨ましく思っています。と言いますのも、私は千葉大学医学部を昭和42年3月に卒業しましたが、1年間のインターン終了後、大学院を受験出来ませんでした。当時は安田講堂事件など、学園紛争の真っただ中で医学部クラス会決議は「大学院ボイコット」でした。クラスメートのうち何人かは大学院に進みましたが、私は大学院には進みませんでした。でも、私は小学生の時から、世の為、人の為に役立つ医師になるということを決め、医学部に進み、整形外科医になり、主に関節外科、スポーツ医学の研究、臨床を続けました。毎日、必死に勉強しました。その結果、多くのスポーツ選手、プロゴルファーの中嶋常幸プロ、丸山茂樹プロ、岡本綾子プロや何人かの力士も診療しました。その結果でしょうか、後に日本ゴルフツアー機構医事委員長をご指名頂きました。そうこうしているうちに横綱審議委員で人間国宝の歌舞伎役者澤村田之助氏が千葉大学医学部整形外科教授であるということで、私の所を受診してくださり、結局は手術をさせて頂きました。治療をしている間に相撲の話をしていたら、ある日、突然「横綱審議委員になりませんか?無報酬ですが・・・。」という話になり、その後、北の湖理事長から横審のご指名を頂きました。学生時代やその後の医者になって若かった頃、酒を飲みに行ったり、マージャンをしたり、と人生を謳歌しました。それはそれで楽しかったですが、でも私にとり人生で一番楽しかったのは学生時代、その後医師として、「勉強をする事」でした。今日の大学院修了生はまだ若いです。まだまだ勉強をしなければなりません。頑張って勉強して人生を楽しんでください。
 私が人生で大事にしている事の一つに「やるべきことをやるべき時にやる」があります。研究であれ、論文作成であれ、やるべき事を素早く認識し、やるべき期限までにやり終える、ということです。相手が偉い、あるいは重要人物であればあるほど多忙であり、待っていてくれることはありませんし、重要な学会であればあるほど期限を守ることは重要です。仕事の遅い人は、結果として、それなりの評価しか頂けません。
 私は医師として教育者として一生を過ごしてきましたが、お金儲けのために仕事をしたことは一度もありません。これは大変幸せなことでした。お金を稼ぐことを第1に考えて医師をやっていると人間が卑しくなり、品格が落ちるように感じています。常に医師としてのprideを持って人生を過ごす為にはお金儲けを第1と考えてはいけないと思っています。これは医師以外の仕事でも同じだと思っています。本日の大学院修了生の皆様には、事情が許せば、「お金の為にではなく、真理の追及の為や、世の為、人の為になる仕事」をしてほしいと願っています。
 世の中で偉くなるかについて「人生は巡りあわせ」だと思っていますが、良い巡りあわせの流れを作るのも一つの努力のように思います。横綱審議委員長最後の場所に、それまで勝って欲しい、負けないでほしいという期待を何度も裏切ってきた稀勢の里が優勝し、横綱に推薦できたことは私の引退の花道を飾ってくれて、本当に幸運でした。

平成29年3月24日 千葉大学名誉教授 守屋秀繁



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名誉教授の独り言 (169) 横綱稀勢の里 連続優勝
平成29年 3月27日

 横綱稀勢の里が連続優勝しました。ただ、驚いています。13日目に日馬富士に寄り切られ左前胸部を鷲掴みにして痛がっていたので、14日目からは休場と諦めていました。その夜、懇意にしている某相撲記者さんから「どんな怪我なんでしょう?出場したらもっと悪くなるのでは?」などなど質問を受けましたが、「直接は診てないから」、とお答えしたものの、「明日から休場だろう」と思っていました。14日目(3月25日)の昼前に強硬出場との連絡が入り、「出ても勝てるとは思わない」という心境でした。案の定、鶴竜に一方的に寄り切られ「明日は休むだろう」と思っていましたが、出場しました。横綱としての義務感だったのだと思います。でも、千秋楽は照ノ富士に無様な形で負けると思っていました。後は視聴率33.3%で皆様ご存知の通りです。
 その後は大変でした。携帯は鳴りっぱなし、メールは沢山来るしで、大忙しでした。中継が終わって1時間ぐらいして、内館牧子女史から「何かあったんですか?私は秋田に行っていて今、東京に帰るために新幹線に乗っているんですが」というメールがありました。内館さんは大変な稀勢の里ファンで今年の年賀状に「委員長、稀勢の里を1日も早く横綱にして下さい」と添え書きしてありましたし、前日には「明日負けても12勝だし合格ですよね」「そうだ!そうだ!」というメールを交換していました。慌てて「稀勢の里優勝」とメールしたら、「そんな事は在り得ない」との返信メールが来ました。しばらくして「そうなんですね」とのメールがあり、その後は静かになりました。
 それにしても稀勢の里は良くやりました。1月場所から、それより前によくしていた目をパチクリするのも大変少なくなりましたし、変なニタニタ笑いもなくなりました。どこかでメンタルトレーニングを受けたのではないかな、という噂もありましたが、今回の活躍を見ると自分で考えてやったのではないかと私は思っています。その結果が1月場所での優勝、今回の14日目、15日目の強硬出場、優勝に繋がったのでしょうか。
 照ノ富士は前日に、琴奨菊にはたき込みで勝ち大変なブーイングでしたので千秋楽は非常にやりづらかったと思います。思い出したのは朝青龍が白鵬にはたき込みで勝った後の横審で、ある委員が北の湖理事長(当時)に「理事長はああいう勝ち方をしたことはありませんでしたよね。どう思いますか」と聞いたら「私は自分のとった相撲は全て覚えています。そのうち3回はたき込みで勝ったことがあります。全て鮮明に覚えています。相手の立ち合いが低過ぎてはたき込むしか取りようがなかったのです。あれははたかれる方が悪いんです」との答えでした。照ノ富士はそのような話は知らないのではないかと思います。
 それにしても稀勢の里は鈍感力でケガに打ち勝ち2連勝して優勝したのは大したものだと思います。千秋楽の様子では稀勢の里は5月場所にも出場できると思いますので、3連勝を狙ってほしいです。照ノ富士は大変素晴らしい内容の場所でしたし、北の湖前理事長の話を誰かから教えてもらい、精神的に立ち直り、右膝を上手に治して、今後活躍してくれることを願っています。



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名誉教授の独り言 (168) 横綱稀勢の里の鈍感力
平成29年 2月27日

 稀勢の里が横綱になってくれて、1ヶ月が過ぎました。昨年、大関で優勝した琴奨菊と豪栄道は優勝後、いかにも多忙で次場所との間に十分な稽古が出来なかったようでしたが、稀勢の里にはそのようなことが無いように祈っていました。しかし、あれやこれやと多忙の様で3月場所を心配しています。世間では2つの予想があるようで、もともと力のある力士ですし、もう優勝しなければならないというpressureもなくなるでしょうから、そこそこ活躍してくれると思う、という予想と、横綱として恥ずかしい相撲は取れないというpressureで硬くなってしまいある程度負けてしまうのではないかという予想があるようです。某新聞社のベテラン相撲記者さんに「どうでしょうか?」とお伺いしましたら、「稀勢の里はマイペースを守る方ですし、ある意味で鈍感なので大丈夫でしょう」という返事でした。「稀勢の里の鈍感力かー」と妙に納得しました。
 稀勢の里は貴乃花に次ぐ史上2番の若さで十両に昇進し、そのころから将来は横綱と言われていました。平成12年11月場所直前に師匠の鳴門親方(元横綱隆の里)が急逝したのに、それにもめげず大関になった鈍感力は大したものだと思います。その後、2013年から綱取りと言われていたのに何度もここ1番という時に敗れて優勝もできず、横綱にもなれませんでした。今回やっと横綱になれましたが、次の3月場所の成績が大変気になっています。稀勢の里の鈍感力に期待して、連続優勝は無理としても、何とか3敗ぐらいまでで止めてくれればと願っています。
 私は10年前に鹿島労災病院勤務中に胃癌で胃の4分の3を切除する手術を受け、以後定期的に1年に1度胃カメラ検査を受けていました。今回昨年11月の定期検査で胃癌の再発が認められ、12月6日に再発胃癌に対し胃カメラでの粘膜切除を受けました。私は慢性の腰痛があるのですが、それに対する痛み止めの服用は2ヶ月間許可が出ませんでした。その間に1月場所があり、ほぼ毎日両国に通っていて砂かぶり席に1日3~4時間座っており、持病の腰痛が大変辛くなり、腰仙ベルトと温熱シップでは大変つらいものがありました。粘膜切除の後、食事制限もあり、12月、1月とかなり無理も重なり、一時は体重が2Kgぐらい減ってしまいました。今は痛み止めを必要に応じて服用していますし、最近2週間ぐらいはやっと体が少しずつ楽になってきてゴルフもかなり回復しました。私は1月場所で横審10年、最後の2年間委員長が任期満期終了です。稀勢の里に引退の花道を飾っていただき、明治神宮手数入り、その後の直会も楽しませて頂きました。感謝感激でした。白鵬、日馬富士、鶴竜の時も出席しましたが今回が1番感動的でした。
 稀勢の里がこんなに綱が似合う横綱になるとは思ってもいませんでしたし、こんなに立派な土俵入りが出来るとも思っていませんでした。元々、横綱・大関には大変強い大関で、白鵬の63連勝を止めたのも稀勢の里ですが、平幕力士にあっさり負けてしまう悪い癖があり、最終的には優勝出来ず横綱になれない時期が続きました。それでもあきらめずに大関を張り続けたのは並大抵な感覚の持ち主ではなく、かなりの鈍感力を持っているように思います。今後はその鈍感力を生かして最低でもあと10回は優勝してほしいと願っています。


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名誉教授の独り言 (167) 横綱稀勢の里(2)
平成29年 2月 9日

 稀勢の里が横綱になってくれて、まもなく3週間になります。稀勢の里はここで勝ってほしいという時に負け続けました。日本人は判官びいきの人が多いのですか?と元横審、人間国宝の歌舞伎役者澤村田之助さんに聞いたことがあります。田之助さんは歌舞伎には「義経もの」をはじめとする判官びいきの演題が沢山あります、との答えでした。稀勢の里は正に多くの日本人にとって勝って欲しいのに勝たなかった、勝てなかった、という対象だったのではないかと思います。去年9月の稽古総見では日馬富士に徹底的に可愛がられ、私は相撲記者に10戦全敗、あんな負け方では本場所でも絶対に勝てません、と言ってしまいました。結果は10勝5敗でした。九州も12勝3敗でした。苦節何年だったでしょうか。今場所やっと優勝したのですから大人気になるのは当たり前です。この後は稀勢の里が横綱に相応しい活躍をしてくれることを願うばかりです。
 私は横審を満期終了になりましたので、これからの日本大相撲はどうあるべきかとかの意見を言う立場にはありませんが、一寸だけ言わせてもらいます。現在、大相撲は絶大な人気です。稀勢の里の横綱昇進のお陰だとは思いますが、私にはそれ以上は判りません。でも、私はある幹部理事に敢えて言いました。「世相というのは突然激変します。人気が上がるのは急ですが、下がるときも急です。数年前のガラガラの国技館を見た者の一人として今のうちに手を打っておくべきではないかと思っています」と。でも、相撲界はなかなか変えづらい体質のようですし、変えたがらない世界のようです。
 今の相撲界は色々な問題を抱えているように思います。例えば中学卒業で何処かの部屋に入門したとして、その子は部屋の掃除、洗濯、食事作り、雑用をしながら稽古をするといっても、月給は0円です。こんな社会は他にはありません。将来、横綱になれば物凄いお金が入ってくるようですが、その確率は1000分の1ぐらい、あるいはもっと低いのではないでしょうか。引退してちゃんこ屋をやる元お相撲さんは多いようですが、どんなに美味しいちゃんこでもそんなに頻繁には通わないので、両国かその近く、あるいは余程特徴のあるお店でもない限り、長続きしないようです。現在、日本相撲協会の運営は全て相撲経験者で行われています。だからダメだとは言いません。でも、私はマネージメント専門の方が運営に携わったら、もっともっと利益が上がり力士が幸せになる組織になるのではないかと思っています。東京場所に10日以上行っている身としては、あの座る所を改善してくれたらと思っています。砂かぶりは座布団一枚です。あそこに3時間以上座っていると辛いものがあります。もっと遅く行けば良いのかも知れませんが、つい貧乏人根性で早く行ってしまいます。それに幕下上位の相撲は月給取りになれるかどうかなので、皆真剣勝負で見ていて楽しいのです。桟敷席であの狭いところに4人座るのも大変です。相撲によく似ているといわれている歌舞伎でも現在は椅子席です。などなど改善してほしい点は色々あります。
 それはそれとして今心から望んでいるというか祈っているのは、稀勢の里が3月場所で、そこそこの成績を上げてくれることです。せめて3敗以内に収めてくれることを祈っています。稀勢の里が今後、今回の事を自信に変えて大活躍してくれると意見と、綱の重責を感じて以前の稀勢の里に戻ってしまうという意見があります。私は前者であってほしいと願っています。稀勢の里頑張れ!頑張れ!


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名誉教授の独り言 (166) 横綱稀勢の里誕生
平成29年 1月30日

 27日の明治神宮での稀勢の里横綱推挙式、その後の直会(なおらい)で私の横綱審議委員としての役目は全て終了しました。あっという間の横審10年間でした。色々とご心配を頂き、応援してくださった方々に心より御礼申し上げます。10年間相撲を十分に堪能させていただきました。2年前に当時の委員長であった内山氏から「一番暇そうな守屋さんに次の委員長をやってもらいたい」と指名されてからは全力で任務に当たったつもりです。特に最近は砂かぶり席に座っているのが腰痛で辛くなりましたが、何とか1月場所終了まで務めることが出来ました。今場所は11日間通いました。年末の稽古総見、場所後の横審、稀勢の里での一連の行事と合わせると14日通ったことになります。
 そもそも横審就任の話は2006年6月頃に澤村田之助丈から頂きました。ついては、その前に北の湖理事長(故人)にお会いして、という話になり、7月の名古屋場所に行くことになりました。朝、田之助丈と東京駅の新幹線で待ち合わせる事としましたが、田之助丈がその新幹線に乗り遅れてしまい、不安の気持ちで名古屋に向いました。その後、その年の12月まで全く話が無かったので、この話は終わったのかと思っていましたが、12月の医局会の時に突然電話連絡があり、2007年から横審委員になれることになり、天にも昇るような気分でした。それから10年間楽しかったです。最後の場所で稀勢の里が頑張ってくれて素晴らしい花道を飾ってくれました。
 それにしても今場所の稀勢の里は以前とは全く別人の大活躍でした。先場所までここで勝ってほしいと願うと必ずと言ってよいほど期待を裏切り続けて来ました。特に昨年9月の稽古総見では日馬富士に徹底的にかわいがられ10番完敗で、誰が4ヵ月後にこんなに素晴らしい相撲を取ると想像したでしょうか。今場所は琴奨菊には負けましたが、その他は大活躍で、白鵬にも勝ちましたし、ただ驚くのみでした。今場所は控えにいて変なニタニタ笑い(?)も無かったですし、目をパチクリするのもほとんど無く大変落ち着いていました。何が稀勢の里をこんなに変えたのでしょうか。ご本人が何も言わないので私にも判りません。
 昨年は年間最多勝であり、今場所の素晴らしい相撲、14勝1敗では横綱に推挙するしかありませんでした。確かに日馬富士、鶴竜の2横綱と大関豪栄道が休場してしまいましたが、それは稀勢の里のせいではないので、それで評価を下げることは出来ないと思っていました。23日の横審が短時間で終わったとネットで批判されましたが、それより以前に多くの委員と電話や直接会って色々と意見を交わしました。その結果委員会では10分か15分で私の意見を述べるのは終わりましたが、その後も何人かの委員から色々な意見が出されました。総合して稀勢の里を横綱に推薦するということになりました。
 27日に明治神宮での横綱推挙式、続いての奉納土俵入りでした。実に堂々として惚れ惚れするような土俵入りでした。私は横綱推挙式、その後の奉納土俵入りは4回目の経験でしたが、今回が最高でした。稀勢の里が土俵を休んだのは入門してから1日だけだと聞きました。しかも体は頑丈でどこも怪我していません。後は今後、稀勢の里が素晴らしい成績を残してくれることだけが願いです。

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名誉教授の独り言 (165) 新年のご挨拶
平成29年 1月 7日

 新年明けましておめでとうございます。
 今年も多くの方から年賀状を頂きました。有難うございます。しばし、この「独り言」を書けなかったのは12月6日に受けた再発胃がんの粘膜切除後は禁酒をはじめ、色々と制限があり、それが解禁されていなかったので、ちょっと躊躇していたこともありました。でも、退院時に主治医から「自分で出来そうなことは何をしても良いです。自分で飲めそう、食べられそうと思うものは飲んで食べて良いです」と言われましたが、退院時の説明書きには「許可が出るまでは禁酒です」と書いてあり、激しい運動も禁止でした。でも、ゴルフはして良いとの話でした。退院して1週間は全粥、その後も消化の良さそうなものを食べ、禁酒を守りました。大変ストレスの多い毎日でした。でも、ゴルフは術後12日で「袖ヶ浦カンツリークラブ役員懇親コンペ」に出場しました。ゴルフは2週間休んだだけでしたが、1ヶ月ぐらい休んでいたように感じ、自信ありませんでした。幸いにしてパットが上手く入ってくれて準優勝してしまいました。かつての教室員の一人から「再発がんは克服してしまうし、コンペでは準優勝するし、相変わらず打たれ強いですね!」というメールをいただきました。その後、年内に3度ラウンドし、初打ちは1月3日でした。全て100をやっと切るゴルフでしたが、マーマーかと思っています。昨日の診察で食事制限は無くなり、ビール程度なら、とのお許しも出ましたし、スポーツクラブでのサウナも許可されたので、安堵し今年初めての「独り言」を書いています。
 頂いた年賀状で、多くの方が私の横審としてのコメントなどをTVで見ていただき楽しんで頂いていることを再認識し、嬉しく感じました。でも、私の横審の任期もこの1月場所で10年になり、任期満了、無事終了となります。12月に日本相撲協会から「1月で、任期満了なので延長はありません、そのつもりでいて下さい」、というようなお手紙を頂きましたが、「延長して下さい」、などと言う気は全くありません。長い間ご支援有難うございました。私は横審10年間十分に楽しませて頂きました。
 今年の年賀状にも色々なのがありました。「今年もよろしくお願いします」と書いてあるのですが差出人のお名前のない葉書が何枚かありました。ベスト年賀状は冨士川先生からのボケ具合(?)を上手に書いたものでした。曰く「元気です。電車の椅子取りではオバーサンに3回に1回は勝ちます。何を探しているのか忘れることは時々しかありません。ボタンの掛け違いは決して毎日ではありません・・・。」などで毎年のことながら文才に感銘してしまいました。
 私自身、5月の誕生日で76歳です。昨年色々と患った病気は全て加齢によるものです。3月に緊急手術を受けた慢性硬膜下血腫も完治し、再発胃癌も全切除して頂き、現在は精神的にも肉体的にも大変好調です(胃粘膜切除後なので消炎鎮痛剤の服用が出来ず腰痛で苦しんでいますが・・・)。今の状態では、まだまだゴルフも続けられそうですし、あと1ヶ月もすればお酒も以前のように飲めるようになりそうです。でも、世の中そんなに甘くないように思います。安倍首相は若い女性には何かと気を配って政策を進めているようですが、年寄りには医療費負担の増加を含め、住みにくい世の中になりつつあるように思います。何時まで元気そうにしていたら良いのか迷っています。


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名誉教授の独り言 (164) 年末所感
平成28年12月11日

 ご無沙汰しております。年末に向かって慌ただしく、独り言を書けずにいました。胃癌術後に毎年年末にやってもらっている胃カメラで今年は異型細胞が見つかり胃カメラで切除してもらいました。術前には癌でなければ良いが、と思っていましたが、やはり癌でした。自分の考えの甘さを再認識しました。でも、粘膜内の早期癌でした。この後どうなるかは判りませんが、やってもらうことは全てやってもらい、1週間まずい食事も我慢しましたし、あとは天命を待つだけだと思っています。それも含め、今年は私にとって散々な1年でした。昨年12月頃からゴルフの調子が悪く、特に寄せが上手くいかなくなり、色々と打ち方を変えたりしていましたが、最終的に3月27日のラウンドで、寄せが全く駄目で、ダフる、トップする、空振りもするで、翌日、「慢性硬膜下血腫」と診断され、緊急手術を受けることになりました。術後経過良好だったのですが、術後2ヶ月頃に居間でつまずいて転び、頭部打撲し再出血してしまいました。再手術するほどでは無いという事で定期的な経過観察で8月頃には良くなり、先日のCTでやっと無罪放免となりました。夏には年のせいか、熱中症を繰り返しました。その他に、9月場所後に引いた風邪をこじらせ、気管支炎になり、10月末までゴホンゴホンとやっていました。11月には年に一度の定期の胃カメラで異型細胞があるということで、今回の胃カメラでの粘膜切除となりました。でも、2度目の癌になってしまったという感じより、早期発見、早期治療で良かったと思っています。
 今年も何人もの友人を失いました。医学部時代の同級生であったF君は親友の一人でした。彼は苦学生でしたが、大変人柄が良く、麻雀なども良くやりました。学生時代に私の実家に遊びに来て、実家の酒と母の手料理を美味しそうに飲んで食べてくれ、母はこんなに美味しそうに飲んだり食べたりしてくれた人は初めてだ、と大変喜び、その後も死ぬまで何度も彼の話をしていました。彼は医学部を卒業し研修が終わってから地元に帰り大病院を作り、やがては市長になり、地元に大いに貢献しました。私は現在75歳であり、日本人男性の平均年齢から考え、この先3~4年がこのような状況のピークだろう思っていますし、私自身がその仲間に入るかもしれませんが、それも運命でしょう。
 季節がら喪中の葉書を頂きます。中には100歳を超えた方のお知らせもありました。確かに世の中は長寿社会になりました。私が週に2日午前中だけ働いている診療所に来る患者さんの3人に1人は「もういいんですけど・・・。」という意味の事を言います。現在の世の中の縮図のように思います。お迎えが来たら来たで、それも良いかなと今は思っています。
 これからの人生も毎日をあくせくせず、人様に迷惑をかけずに歩んでいければと願っていますが、慢性硬膜下血腫も完治し、胃癌も早期発見、早期治療していただきましたし、来年は気分も新たに張り切って頑張ってみようかなとも思っています。


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名誉教授の独り言 (163) ホールインワン
平成28年10月 2日

 先月の9月場所は15日間のうち11日本場所に通いました。横綱審議委員にとって東京場所は本場所10日位前に稽古総見があり、場所終了翌日に横綱審議委員会があります。更に私はその翌日に溜会の例会で、前座として「何か話してください」とのご依頼があり、頑張って話しました。9月場所は計14日お勤めをしてしまい疲れてきってしまいました。帰宅して水割りを飲みながらクーラーの下でうたた寝してしまい、ベットに入った時に、多少咳が出ていました。翌日の夕方から喉が本格的に変になり遂に一昨日夕方から発熱してしまいました。昨日1日は解熱剤を飲みながら1日中ベットの中にいましたが、その他は時々痰を出しに洗面台に行くだけでした。今朝起きたらもう熱も無かったし、林先生から「気力で直して来て下さい」というメールも頂いていたので、ゴルフ場に行きました。前半はひどいゴルフでした。出だしのパー5が8で、その後にドライバーのチョロ2回、もう一つトリプルがあり、その他にダボが4つあり、終わったら53でした。
 午後は何とかまとめたいなーと思いながら出ました。出だしは何とかボギーでした。次のショートでパーを取りたいと思い、自分を奮い立たすために、キャディーさんに「ホールインワンを狙うから、入ったら〇円チップとしてあげる」と言って打った1打が入ってしまいました。ここからは自慢話です。袖ヶ浦カンツリークラブ新袖コース11番ホール150ヤードを7番ウッドで打ちました。グリーンに落ちて軽いスライスラインに乗って入ったようです。私がグリーンオーバーのラフの辺りを探していたら同伴競技者の林先生がカップの所に行き、「入っているよー」と言ってくれました。西日に向かって打ったので入りそうだと思いましたが、入るところは見えませんでした。
 打つ前に「入れるよ」と言って偶然ですが入れたのです。何度か綱取りと周り中に言われながら敢え無くそれを叶えられなかった大関に見習って頂きたい心境です。私は医者として50年を過ごして来ました。うち19年は千葉大学医学部教授、4年鹿島労災病院長、3年千葉市病院事業管理者でした。その間、毎日がメンタルトレーニングだったように思います。それらが私を精神的に強い人間に育ててくれたと思っています。望んで教授、病院長、病院事業管理者になったのです。教授にすらならなければこんな苦労はしなくてよかったのに、病院長にさえならなければ、病院事業管理者にならなければ、などと何度も思いました。でも私の代わりにその地位に付きたい方もおられたのに私が付いたのです。ですからどんな苦難があっても職責を果たさねばならないと常に覚悟していました。
私にとってホールインワンは5年前に続いて2回目です。実は今日ゴルフ場に行く車を運転しながら、最近の不出来な成績から、75歳だし、いつゴルフを止めようかと思っていました。総合的には不本意のゴルフが続いていましたが、今日のホールインワンで、もうしばらく続けようと思っています。横綱審議委員長も来年1月末で任期満了ですので、そのあとは相撲に邪魔されずゴルフに精進できるでしょうから、もっと上手になるのではないかと勝手に思っています。今だから言いますが、もともと相撲よりゴルフの方が好きでした。日本ゴルフツアー機構の前医事委員長で、中嶋常幸プロなどの多くのプロゴルファーの主治医だったのですから。


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名誉教授の独り言 (162) 豪栄道優勝
平成28年10月 1日

 平成28年9月場所は全く予想外の豪栄道の優勝で終わりました。今場所は何回目かの稀勢の里の綱取り場所でした。私も期待していました。その期待は9月2日の「横綱審議委員会稽古総見」で、見事に裏切られました。日馬富士との土俵で8戦全敗、しかも立ち合いも遅く、力負けしており、明らかに完敗でした。大関などとも対戦し、トータル2勝10敗でした。これじゃー本場所でも勝てないだろうと思いました。案の定、本場所初日敗退でした。初日終わってから相撲記者さんから取材を受けましたが、その時「稀勢の里は稽古総見で2勝10敗だったので今場所は3つぐらい勝つのではないですか」と言ってしまいました。事務所のトイレで北の富士さんにお会いしましたら「横審は今場所やることはなくなってしまいましたね」と言われてしまいました。結果として稀勢の里は10勝5敗でしたが、その間、いつの間にか豪栄道が全勝を続けていました。
 豪栄道はそれまで12場所で負け越し4回であり今場所もカド番でした。あちこちケガをしてダメ大関と言われていました。それがあれよあれよという間に全勝で後半戦まで来てしまいました。豪栄道は今場所前には久しぶりに痛いところもなく十分に稽古できたので、自分としてはある程度自信もあり、ごく親しい人には「鯛を用意しておいてくれ」と冗談を言っていたそうです。後半の日馬富士戦では途中負けたかと思いましたが、首投げという豪栄道の必殺技で仕留め、全勝を続けました。終わってみれば15戦全勝優勝でした。全体として負けないような雰囲気を作ってしまい、大したものだと感心しました。
 9月場所は豪栄道の大活躍で終わりましたが、一整形外科医として大変興味のあったのは安美錦関の活躍でした。今年5月場所でアキレス腱を断裂し、すぐに手術をお受けになり、頑張ってリハビリし、4ヶ月後の9月場所に出場してきたことでした。確かに出場し6勝以上の成績を上げないと幕下に落ちてしまう十両10枚目なので出場を決めたと思いますが、こんなに早く、大相撲に復帰すると折角手術を受けたアキレス腱が再断裂してしまうのではないかと心配しました。ところが安美錦関は5月まで必ずつけていた両膝のがっちりした装具を今場所ではアキレス腱を断裂した左側の膝には付けていないので驚きました。どういう理由で左だけがっちりした装具を付けないで相撲を取ったのかご本人に伺っていないので判りませんが、整形外科医から見ると左下肢に力が加わったときに左膝ががっちりしていると、左アキレス腱に力が加わってしまい、再断裂に繋がってしまう危険性が高くなります。左アキレス腱の再断裂を防ぐためには左膝の装具を付け無いのが良いのだろうと感心しました、結果は8勝7敗で、幕下転落を免れました。
 豪栄道の今回の全勝優勝はとても安定感があるように感じました豪栄道はケガばかりのダメ大関と言われていましたが、ケガの多くは治るけがだったようで、もう大丈夫でしょう。今後も祝勝会などもしないという方針のようですので、稽古に励んで来場所も優秀な成績で是非とも横綱昇進を果たしていただきたいと願っています。


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名誉教授の独り言 (161) 暑い夏。
平成28年 9月 5日

 今年の夏は暑い日が多かったように思います。6月末に静岡に一泊でゴルフに行きましたが着いた晩にかつての教室員と前夜祭を行い、それなりにお酒を飲み、翌日に大変暑い中ゴルフをし、終わってからビールを少々頂いてから新幹線の駅へ送っていただき、品川、千葉ととんとん拍子に電車が来てしまい、水分不足のままで帰宅してしまいました。そのまま翌日を過ごしましたら、夕方から右上腹部に鈍痛を感じました。20年ぐらい前に同様の事があり、その時の診断は尿路結石でした。今回も水でも飲んでいれば治るとは思ったのですが、夜半に痛みが強くなり、遂に大学病院で診てもらうべく行きましたら、結果はやはり腎臓結石でした。既に石は消えており、何もせず、水分を十分に取って下さい、で終わりました。翌週の暑い日曜日にゴルフをしたら16番ホールで始めは下腿が痙攣し、その後に両手が痙攣し、スポーツドリンクを飲みながら最終ホールまでやりましたが、その後にもこの夏の暑さの中でのゴルフ後に3回手が痙攣することがあり、この夏の暑さを再認識しました。
 昭和35年3月に県立千葉一高を卒業し、受験したすべての大学には不合格になり、浪人、本八幡の親の知人の家に下宿し市ヶ谷の予備校に通いました。その年の8月は今年と同じように暑かった、ように記憶しています。浪人生は翌春大学に合格することだけが日々生きている人生の目的でした。その15年前に広島・長崎に落ちた原爆の事をラジオで言っていたのは知っていましが、それをどうこう思う余裕はありませんでした。予備校の授業が午前中で終わった、ある日の本八幡駅から下宿に帰る公園で身が焼けそうな日差しの中、「自分は来春、医学部に合格しなければならないのだ」と強く自分に誓ったことを記憶しています。予備校での勉強で受験勉強というのはどういう 事か判ってきました。千葉一高を受験するために中学3年の5月に蓮沼村の中学から千葉市の中学に転校し、学力差に驚いたものの、幸運にも高校受験には成功しました。しかし、大学受験は田舎出の自分にはそれ程易しいものではありませんでした。翌年4月に運よく千葉大学医学部に合格しましたが、その時は大変嬉しかったのを記憶しています。
 実家が造り酒屋ではあったものの自分だけが大金のかかる私立大学医学部にはいけないと思い、その年はすべり止めに早稲田大学工学部を受験しました。一次試験に合格し、2次試験で面接があり、何処か他を受験しているか聞かれ、千葉大学医学部を受験していると答えたら両方合格したらどうしますか、と聞かれたので、千葉大学に行きますと答えました。その後に千葉大学の合格を知りましたので早稲田大学には行かない事にしましたが、早稲田大学からは合格通知を頂きました。さすが早稲田大学だと思いました。今でも早稲田大学には尊敬の念を持っていますし箱根駅伝では応援してしまいます。
 医学部在学中の3年から6年迄の夏は山中寮委員として山中湖畔で過ごしましたので暑い夏を過ごすことはありませんでした。でも、その後、医者になってから何度も暑い夏を過ごしました。33年前に行ったリオの夏も物凄く暑かったです。地球全体の温暖化のせいか、最近は段々と夏が暑くなっているように感じています。私が医学部を卒業して来年で50年です。今後、何度この暑い夏を過ごせるか判りませんが、出来るだけ元気で過ごしたいと思っています。


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名誉教授の独り言 (160) 年だなー。
平成28年 7月17日

週に2~3回通っているスポーツクラブは老男・老女が一杯です。プールでは男女比率はおよそ4:6で女性の方が多く、室内トレーニングには男性の方が多いように思いますが、どちらにしても老人で一杯です。私も、その老人の一人ですが、以前ほどはトレーニングが出来ないようになっています。改めて年を感じています。
 先日、私より2学年下の同門会員が開業を7月一杯で辞めるとのお知らせを頂きました。彼は台湾で大学を卒業してから千葉大学医学部に入学したので私より何歳か年上のように思います。患者さんを含め世の中全体、医学あるいは医療制度などを含めて40年前とは随分と違ってきてしまいましたので、閉院もありかなと思っています。老医が地域医療の為に頑張っているというニュースが時々ありますが、その老医は最新の医学・医療を理解して医療実務に拘わっているのか、と思ってしまう事がしばしばあります。10年前に大学を定年退職するまで学問の府にいたこともあり、今でも出来るだけ最新の医療に接するように心掛けていますが、ついて行けないこともしばしばあり、年を感じています。
 3年ぐらい前から手術は一切していません。「どうして?」と聞かれることがありますが、その際は「ゴルフがこれだけ下手になったのだから手術も下手になったのだろうと思い辞めました」と答えています。更に、年を取ると耐える力が低下してくるように思い、手術というストレスの多い仕事は、もう出来ません。今にして思うと良くあんなに毎日手術をしたり、講演に行ったり、時間があればゴルフの練習に行ったり出来たものだとつくづく思っています。年を取ると疲れやすくなります。全く用事の無い日は朝飯の後にCPに向かっていると、いつの間にかうとうとしてしまいます。昼食を取るとその後にもまたうとうとしてしまいます。最近はスポーツクラブに行ってまず休憩室に行き、暫しうとうとしてからexerciseすることもしばしばです。
 ゴルフも随分と下手になりました。私のbestscoreは38, 37でしたが、今はそれよりハーフで10悪い48,47なら上出来です。2~3年前と比べ、ドライバーも飛ばなくなりましたし、wedgeも寄らなくなりましたし、パターも入りません。「飛ばない、寄らない、入らない」です。特に寄せなどの細かい動きが下手になりました。それもこれも年のせいだと思っています。
 この先、どうしようかと考えています。取り敢えず横審委員長の任期が終わる来年1月末までは真面目に相撲を見ます。お誘いを頂いた仕事は余程の事が無い限りお受けすることにしています。でも、最近は疲れやすいこともあり、遠出の葬儀と遠出のゴルフは断ろうかと思っています。色々と出来るだけやるようにしていますが、3月末の慢性硬膜下血腫の緊急手術の事もあり、このところ色々な事に対して積極性が無かったと反省しています。学問はもう無理なので、精々ゴルフで頑張ってみとうかと思っています。色々と反省した結果、head upしない、腰が開かないようにする、寄せは腰で打つ、などに気を付けて頑張ってみようと思っています。でも30ヤードが上手く打てません。どなたか教えて下さい。


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名誉教授の独り言 (159) 人材は勝手に育つ
平成28年 6月20日

 先日千葉大整形外科新入医局員歓迎会が行われました。ついでに豊根知明先生の昭和大学医学部整形外科教授就任と渡辺淳也先生の千葉大特任教授就任と山口智志先生の千葉大学国際教養学部准教授就任の祝賀会でした。多分3月まで教授であった高橋先生のご指示で今日の会になったと思いますが、これぞ高橋先生の本領発揮だと思います。高橋先生は今より随分と太っていた頃の好物は鰻重でした。私はある時に「高橋先生はなぜ鰻重が好きなのか?」答えは「鰻重はご飯とおかずを一緒に食べられます。こんなに効率的な食べ物は無いでしょう」との事でした。しかも高橋教授は2段重をかなりのスピードで平らげていました。妙に納得しました。新入医局員歓迎会と3人の同門会員の昇進祝賀会を一緒にサッサッとやるのは、なるほど効率的です。
 3人の昇進した先生たちにはこれまでの研究の素晴らしさ、今後の研究の発展などについて話しました。新入医局員には
 「医者となって偉くなるかどうかは人生において余り重要な事ではないように思います。最も大事なことは患者さんに信頼される医者になる事ではないかと思っています。その為に重要だと私が思っていることは2つあります。その1は与えられたすべての職責を出来るだけ早く一生懸命にやる事、そうすると周りの信頼が得られ、色々と重用されるようになります。その2として、朝は誰よりも早く病院に来て受け持ちの患者さんの状態を見る事です。そうすると患者さんは朝早く来てくれた先生に信頼を置くようになります。この2つを実践してみてください。そうすれば医者として良い人生を歩むことが出来ると思います。」
 というお祝いの言葉を述べました。
 今回も立派な人材が育ちましたが、私は人材は勝手に育ってくると思っています。自分のやりたい研究をやってもらっているうちにそれなりの成果を上げ、学会、研究会で名前が挙がり、段々と偉くなってきます。若い時から偉くなろう、有名になろうと思って研究・診療をしている人は本人の思っていた将来像には中々辿り着けない印象があります。同時に「偉くなりたい病」の人は普段の行動が嫌らしくなります。そのような態度は周りから嫌われます。
 このような事を書きながら自分は医学部に入ったころに思っていたよりずっと偉くなってしまったと後悔しています。色々な事があり、医学部教授にもなりましたし、多くの学会長もさせてもらいました。千葉大を定年退職する前に横綱審議委員にも任命頂き、昨年1月には横審委員長まで拝命しました。自分の来し方を考えますと「人生は流れだ」と思います。ある地位についた人が偉いのではなく、巡あわせでそうなったのだ、と私は考えています。ある地位につけば、それなりの苦労があります。横綱になった人が還暦まで生きるのは稀ですが、幕内と十両を行ったり来たりする力士は日本人の平均寿命まで生きるようです。どちらを選ぶか、結果としてどちらになるかは人生の流れでもあるように思います。若い人にはあまり若い時から出世など考えずに自分のやりたい研究・診療に全力で当たって貰いたいと思います。そうすれば人材は勝手に育ち、きっと何か良いことが待っていると信じています。私としては鰻重はご飯とおかずを一緒に食べられるので良いと思いますが、教授・准教授昇進祝賀会と新入医局員歓迎会は、別々にお祝いしても良かったように思いました。


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名誉教授の独り言 (158) 横審報告「わきまえる心」
平成28年 5月27日

 5月場所は稀勢の里の優勝、そして横綱昇進への期待で非常に盛り上がりのある毎日で15日間満員御礼、11日間の札止め、と大変な人気でした。
 場所後の5月23日に横綱審議委員会が開催されました。今回の委員会には八角理事長、尾車理事、山科親方は残留でしたが、新たに鏡山理事、春日野理事、芝田山理事、藤島理事が加わり、ちょっと気分一新でした。始めに理事長から「今回の諮問はありません。今場所は白鵬の全勝優勝でしたが、稀勢の里も頑張り良く場所を盛り上げてくれました」とのお話があり、続いて委員長である私は「白鵬の圧倒的な強さが目立ちました。しかし、ダメ押しやかち上げ,張り手など大横綱かつ角界の第一人者として相応しくない相撲もありました。稀勢の里は結局2敗しましたが12日目までは強い取り口で今場所を大変盛り上げてくれました。来場所に期待しています。今場所は十両が面白かったです。今場所十両で活躍してくれた小兵力士達が今後益々活躍してくれることを期待しています。最後に照ノ富士が2勝してから13連敗しましたが、何故伊勢ヶ浜親方は休場させなかったのか、理事長以下協会で休場を指導できなかったのか疑問です」と言いました。八角理事長からは「照ノ富士本人が出場したい、というので休場にならなかった」との事でした。私は元々整形外科医であり、このまま取り続けて、ケガがもっとひどくなってしまわないか心配しています。などなどの議論がありました。
 今場所もほとんど毎日国技館に通いました。そのせいか、大変疲れてしまいました。気が付いたら場所中に75歳の誕生日を迎え後期高齢者になっていました。横審委員長の任期は来年1月末まで、袖ヶ浦カンツリークラブの理事は来年5月までです。それまでは真面目に務めを果たすつもりです。
 今場所の白鵬は3度のダメ押しについて場所後の会見で自分は詰めが甘いと親方から指導されていたので、絶対に勝たなければならないと思いで最後まで全力でやっていたのがダメ押しという型になってしまいました、と言っていました。ダメ押しといい、今場所頻繁に繰り出した左張り手、右かち上げの姿は横綱としては好ましい姿とは見えませんでした。私が横審を委嘱頂いて半年後の9年前に横綱になった白鵬は、その頃朝青龍が悪役であったこともあり、素晴らしい力士だと多くのファンに愛されていました。どうして現在は何かと非難されてしまう横綱になってしまったのでしょう。確かに相撲界が野球賭博、八百長問題など場所も開けなかった大変な時期に一人横綱として相撲界を支えてくれた大貢献者だったと思います。優勝も今回で37回です。だからと言って横綱らしくない相撲、行動は許されないと思います。これからは大横綱としての相撲、振る舞いをして益々多くのファンに愛される角界の第一人者であってほしいと願っています。相撲は神事でもあるので、横綱として「わきまえる心」が必要であると思います。もし、ダメ押し、かち上げ、張り手などをしなければ勝てないのなら、今後どうするかを考えるべき時期に来ていると思っています。


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名誉教授の独り言 (157) 稽古総見
平成28年 5月 2日

 4月29日に横綱審議委員会の稽古総見に行ってきました。稽古総見の前に、わざわざ「横綱審議委員会の」と付いているのは横綱審議委員に力士の準備状態を確かめてもらいたい、という意味で行われていると理解しています。いつも行っているスポーツクラブの顔なじみの人達が是非行きたいという事になり10人ぐらいで行きました。稽古総見は1月場所と5月場所と9月場所の10日ぐらい前に行われます。1月場所の前と9月場所の前は国技館の裏にある相撲教習所で非公開として行われます。5月場所(夏場所)前の稽古総見だけは国技館で一般公開として行われ、入場無料で、今回も7000人ぐらいのお客さんが来たようでした。稽古総見は飛んだリ、跳ねたり、うっちゃったりしないガチンコ勝負なので、ある意味で本場所より面白いと思っています。今回は以前に比べ活気が見られ全体としては素晴らしかったと思いました。特に稀勢の里は力強い相撲で横綱鶴竜に何番か勝ち、元気そうに見えました。こんな相撲を見せられると、今までに期待して何度も裏切られましたが、今場所も期待してしまいます。今度こそ本当に裏切らないでほしいと思っています。とは言え、私が稽古総見を見させて頂いて10年になりますが、以前はもっと活気というか殺気まであったように思います。特に朝青龍が稽古熱心であったのは記憶しています。土俵の近くに設けられた横綱審議委員の席まで朝青龍にブン投げられて飛んできた力士がぶつかり、隣の山田洋次監督と怖い思いをしたのを今でも覚えています。今回、横綱白鵬は昨年秋に痛めた左膝の調子が悪いとかいう事で準備運動だけをして土俵に上がらず、日馬富士はほとんど勝ちましたが平幕力士としか取らず、鶴竜はボロ負けで、3横綱とも稽古総見に相応しくない、と思いました。
 面白かったのは十両の力士の稽古が終わりそうになっても黒まわし(白まわしは十両以上に許されていて、幕下以下は黒まわし)の力士が残っていて何番も十両力士に喰らいついていっている姿でした。稽古総見後の懇親会で理事長にお伺いしましたら幕下59枚目(幕下は60枚目までしかない)の富栄という力士という事で理事長も頑張ってくれていて良かったと仰っていました。
 稽古総見の時にはその場所の調子を計り知れるぐらい十分に稽古をしているのか、と以前にある力士に聞いた事がありますが、答えは稽古を始めたばかりなので本格的にはこれからです、という事でした。今回も期待していた力士の何人かは欠席でしたし、来ていても土俵に上がらない力士も何人かいました。白鵬も来週から出稽古も含め本格的に稽古を始めると翌日のスポーツ新聞に書いてありました。以前に協会関係者から力士は4日に1日まわしを締めているので過酷だ、と聞いていたのですが、その他に頭には常にちょんまげが乗っかっているし、体そのものも大きくて目立つし大変だとは思いますが、稽古総見と称して案内して頂いているのなら、怪我をしている力士や体調の悪い力士には休んでほしいですが、元気な力士にはちゃんとした稽古を見せていただきたいと思うのは私だけでしょうか。以前からのやり方を踏襲してやっているように思いますが、現状のまま続けた方が良いのか、時期、内容も含め、改めて考えても良い時期のようにも思います。


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名誉教授の独り言 (156) 散る桜 残る桜も 散る桜
平成28年 4月11日

 桜もそろそろ終わりになって来ました。この頃になると「散る桜 残る桜も 散る桜」という江戸時代の曹洞宗僧侶良寛和尚の辞世の句を思い出します。今、どんなに美しく咲いている桜も、やがては必ず散る運命にある、という意味のようです。2~3日前に見た桜は花びらが大分落ちていて地面を覆いつくし大変美しい光景でした。年のせいでそう思うのでしょうか、若い時にはそのような感じ方はしませんでした。
 2週ほど前に慢性硬膜下血腫の緊急手術をしてもらい、信じられない程に回復し、後期高齢者突入1ヵ月前の身としてはただただ感謝感激です。
 今回、どうしてそんなに早く受診する気になったのか、と色々の方に聞かれました。受診時の自覚症状として主に3つの症状があったように思います。第1に前回の独り言にも書きましたが前日のゴルフがどうにもならないほどひどかった事です。ドライバーなどをfull shotするのはどうにかできましたが、力加減が必要なウェッジはダフる、トップする、空振りをする、などの繰り返しで17番ホールでは寄せをウェッジで打てなくなってしまいました。今までの人生で初めての経験でした。この時点で何か変だなと思いました。第2は、その数日前から手帳に予定を書こうとして書く字が思っているより小さく、しかも下手になってしまいました。何か変だなとは思いましたがこれも老化現象かと思っていました。第3にコンピューターの文字入力が思ったようにいかなくなってしまいました。特に文字変換が同じところで繰り返し間違ってしまい、28日午前中の外来では看護師さんに入力をしてもらいました。頭蓋骨内で異変があったのに頭痛や吐き気、嘔吐などは全くありませんでした。神経内科を受診するまで自分では小脳梗塞かパーキンソン病の初期か、などと考えていました。神経内科医に午後1時に診察して頂いたのですが、それまで頭痛や麻痺を自覚していませんでしたが、食欲は無く昼食は食べませんでした。神経内科医に正しい診断をして頂き、直ぐに手術のご手配を頂き、緊急手術をして頂いたのは大変ありがたかったです。もう少し診察、手術が遅れていたら、死んでしまうか、寝たきりになるか、少なくともどこかに麻痺が残ってしまったのではないかと思うとゾッとします。長い間、教授、病院長、病院事業管理者などをしていた私は、自覚的にも大変我儘で、一刻も早く退院したいと思い、モニター、点滴が取れた2泊3日の時点で、退院させて頂きました。退院してから日に日に頭がclearになっていくのを感じましたし、今年の桜も十分に堪能させて頂きました。でも、退院後1週間は夕方になると頭痛が起こり、日に日に軽くなったとは言え、やはり主治医が術直後に言ったように1週間は入院しているべきだったと思い、退院後1週間での診察の時に改めて主治医にお詫びを申し上げました。
 「散る桜 残る桜も 散る桜」、改めてこの句の意味を今は噛みしめています。私も満開だった時期もありました。寝る間も惜しんで、家族の事も全く考えず、全力で仕事をして色々の場で活躍させて頂きました。自分で言うものおかしいですが、他の人から見ると満開の桜のようだったのかもしれません。その満開の桜も大学を定年退職してから10年目に入り、そろそろ散り際のような時に今回の病気になってしまいました。散りそうになった時に、散り際を先延ばしにして頂きました。でも、この先そう長く散らずにはいられないと思っています。散る桜の身として、どうせ散るのであれば、晩節を汚すことなく、綺麗に散りたいと願っています。 


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