守屋秀繁名誉教授の独り言
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名誉教授の独り言 (184) 貴の乱
平成30年 3月26日

 日本大相撲3月場所が横綱鶴竜の優勝で終わりました。稀勢の里がはやばやと休場を表明し、白鵬も休場となり、鶴竜は昨年の成績が悪く、手の指を脱臼したということで、今場所は3横綱休場かと騒がれていたのに鶴竜だけは恐る恐る出場し、何と優勝してしまいました。あの7日目の貴景勝との一番では鶴竜の左足親指は絶対に出ていたと思っています。物言い協議で出ていないことになり(?)、鶴竜は勝ちになってしまいました。その他にも何番か取り直しで良いのでは、という取り組みもあり、何か変な感じがしていました。私は昨年1月で横審委員長を満期終了しましたので、何ら言う立場ではないので、「大丈夫?」ぐらいしか言えません。
 丁度2年前の横審の日に私は慢性硬膜下血腫の緊急手術を受けました。何となく変だったので後輩の神経内科の女医さんに診てもらいましたら「緊急手術です」と言われ慌てて日本相撲協会に携帯して横審の欠席を認めてもらい、その後、手術をしてくれる病院に搬送され、局所麻酔で頭蓋骨にドリルホールを開けてもらい血腫を洗い流してもらい一命を取り留めました。その時は大変我儘な患者でした。手術をしてもらい翌朝にはすっかり元気になってしまい、その日は病院に泊まったのですが、2泊3日目の朝にもう帰りたいと思い、主治医にお願いしたら「ふつうは9日はいてもらいます。おまけをしても7日ぐらいは居てほしいです。でも私は先生の授業を受けた身です。絶対にダメとは言えません。先生がどうしても帰りたいというのなら自己責任でお帰り下さい」という事で脳外科の手術を受けて2泊3日で退院してしまいました。帰ってきて翌日散歩をしたら頭痛が起こり、1週間続きました。これが最低7日は入院が必要と言った理由かと思いました。
 今回、八角理事長が再選されましたが、再任の挨拶で「暴力追放と不祥事の再発防止が目標」という事はプロスポーツ団体の最高責任者が言う言葉でしょうか?是非とも健全なスポーツ団体になってほしいと願っています。
 それにしても貴乃花親方の豹変ぶりには驚きました。「貴の乱」と言われ、あれだけ日本相撲協会に対立した態度をしておきながら「すみませんでした。深く反省しています。もうしませんから許してください」という小学生が先生に怒られた時に言うような言動には違和感を覚えました。弟子の貴公俊が、自分より年長で先輩が自分より格が下という理由で付け人だったとはいえ、殴ってしまったという事はプロスポーツとしてあり得ないことのように思います。内閣府に告発状まで出して相撲界は間違っているというようなことを言っておきながら、それを弟子の不祥事があったとはいえ、取り下げれば許されるとは、一代年寄だからとか人気があるからとの理由で、格下げだけで許されるとは、大相撲界の曖昧さ、いい加減さが露呈されたような感じです。八角理事長はやれるだけの最大の努力をしたと思っています。これからは貴乃花親方の今後の動向に掛かっているとのコメントがありましたが、正にその通りだと思います。プロスポーツとしては「最高のプレーを見せたいとか、ファンを感動させたい」とか、大相撲の最高責任者には言ってほしかったと思っています。私はもう相撲界とは何の関係もありませんので、一相撲ファンとして言っているだけで、「あっしには関わりの無いことでござんす」です。


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名誉教授の独り言 (183) タレント
平成30年 3月 9日

 平昌オリンピックも終わりオリンピック報道も一段落しました。考えてみますと昨年11月、12月は横綱日馬富士の貴ノ岩殴打事件で持ち切りでした。その余波で私にワイドショ-などの出演オファーが沢山来ました。「どうして私なの?」と思いましたが私はTVの人達にとっては格好のターゲットだったのかも知れません。元(?)整形外科医で怪我の事は一応どんな質問でも答えられますし、前横綱審議委員会委員長として相撲界の裏話を何か知っていると思われていたようです。更に昨年1月場所で稀勢の里を横綱にして横審任期10年を終了し、その後は日本相撲協会には何の肩書もなくマスコミの人は何をしゃべっても良いと思っていたようです。12月初めの週末にはTV局からひっきりなしに電話がかかってきました。怖くなって家内を助手席に乗せて房総半島1週ドライブに出かけ夜帰ったら留守電が20本ぐらい入っていました。結局、TVの出演依頼の2/3は断ったのですが「先生のお弟子さんからの紹介ですが・・・」とか「先生の親友の甥ですが・・・」とか「父親が整形外科医で・・・」とか何とかで10回ぐらいTVに出演させられてしまいました。その結果として判った事は

  1.  テレビ屋さんは基本的には「TVに出してやる」と思っている。
  2.  オファーを受けた人はタレントであれ、学者であれ、ほとんど断らない。私もオファーを頂いた最初の頃は何となく嬉しくなりホイホイとお受けしてしまいました。
  3.  従ってギャラは考えられないぐらい安い。
 藤田憲子さんと一緒にワイドショーに出た時には藤田さんは貴乃花親方が如何に正しいかを両目じりを引き上げ、首を筋張らせて話していましたが、大変怖い感じがし、私はただ藤田さんの顔を見つめるだけでした。最後にMCの橋本大二郎さんから「守屋さん、この後はどいうすればよいでしょう?」と聞かれたので「貴乃花親方がもう少しマイルドに対応してくれれば・・・」と発言したら、藤田さんがサッと私の方に向き直り、同時に優しい母親の顔になり、笑顔で「貴乃花はそれが出来ないんです-」と言ったのが大変印象的でした。
 12月下旬からTV局からの電話は一切なくなりました。幸いにしてそれまで出演した番組で私が話した内容についてのマスコミからのパッシングが無かったので、この辺が引き際かと思い、今後は基本的にはTVのワイドショーなどには出演しないと決めました。同時にタレントのようにあちこちの講演依頼をこなしていましたが、引き受けた時は多少ハイテンションになるものの、ストレスを受けながら苦労して準備する割には、その報酬は大変安い事がほとんどで、「労多くして得るもの少なし」なので、今までに引き受けてしまったものはやりますが、今後は引き受けないと決めました。これで精神的には大変楽になりました。
 私がTVや講演会で話をしても、しなくても、大相撲はなるようにしかならないでしょう。稀勢の里は6場所連続休場のようですし、白鵬も鶴竜も途中休場かもしれないようです。横綱になったような力士はその地位に執着してはならない、と思います。散り際は潔くです。


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名誉教授の独り言 (182) 大相撲平成30年1月場所を終わって
平成30年 1月29日

 私はもともと相撲がそれほど好きではありませんでした。3年ぐらい前に蓮沼村立蓮沼小学校の同窓会に行ったら、八百屋のサブちゃんが「ヒィちゃん(私の事です)、どうして横綱審議委員をしてるの?俺、相撲は君に負けたことが無いよね」と言ってきました。確かに小学校の校庭に丸を書いて相撲を取って負けばかりでした。「人生の巡りあわせだよ」と答えておきました。
 その後、私は医者になり、これも「人生の巡り合わせ」で教授になってしまいました。教授になりたての頃は相撲よりゴルフの方が好きでした。中嶋常幸プロをはじめ何人ものプロゴルファーの主治医を勤めたりもしました。平成17年夏ごろに、私が千葉大学医学部教授であるということでご紹介いただいた歌舞伎役者、澤村田之助丈を外来で治療中に「横審になりませんか?無報酬ですが・・・」、と言われ「もし選んで頂ければ喜んで」と答えました。田之助さんは当時既に横綱審議委員(横審)で人間国宝でした。彼が北の湖理事長に御推薦下さり、横審にさせていただきました。確かに無報酬で、日当も無く、交通費も出ませんでした。
 仕事としては年6場所後の月曜日の夕方に両国国技館2階の会議室での横審(必要があれば臨時の委員会も開催されます)が開催されます。年3回の東京場所10日ぐらい前に「横綱審議委員会稽古総見」、東京場所中に1日だけマス席に御招待される「横綱審議委員会場所総見」があります。横綱審議員会の後には席を変えて懇親会があります。その時に相撲界について色々と教えていただくのは楽しい時間でした。その他に相撲界全体について、ご意見を頂きたい、ということです。
 そもそも横綱を任命していた大分の吉田司家が「免許」という証書を発行して、以後横綱を称号することを許可していましたが、1950年1月場所の3日目までに東富士,照国,羽黒山の3人が相次いで休場し、横綱を粗製乱造しているとの非難を浴び吉田司家に代わるものとしてできたのが横綱審議委員会です。初代委員長には1950年4月に権威付けもあり元伯爵・貴族院議員酒井忠正氏が就任しました。私は33人目の委員でした。今まで医者で横審になったのは東京大学医学部内科教授だった上田英雄先生(第5代委員長)だけで私が2人目でした。
 横審の最大の役割は横綱を推薦すること、正しくは審判部が推薦するかどうか協議し、推薦すると決めるとそれを理事会に上げ、可なら、横審に上げ、最終的な判断を求めます。推薦されると多くはそのまま承認されますが、過去には1954年5月栃錦、1968年5月玉乃島、1969年11月北の富士、1994年9月貴乃花の4力士が横審で横綱昇進を見送られましたが、全員その後に横綱になっています。横審は横綱に引退勧告することも出来ます。かつて朝青龍が西麻布で不祥事を起こした時に臨時横綱審議委員会が開催され、朝青龍に対する引退勧告書を作成し、理事長(武蔵川さん、元横綱三重ノ海)に引退勧告書を出そうとした時に、一瞬早く朝青龍が引退宣言をしたので、結局、引退勧告書は出さずに終わりました。
 平成18年1月の横審で内山前委員長の「横審委員は全員お忙しい方ばかりです。その中で一番暇そうなのは守屋さんなので守屋さんに後任の委員長をお願いしたい」との発言があり第14代委員長に選出されました。委員長は定例の横審の後に協会の広報部長と2人で残されて記者会見をしなければなりません。特別な引継ぎが無かったこともあり、1回目の記者会見では上手には答えられませんでしたが、2回目からはだいぶ慣れてスムーズに対応出来るようになりました。横審で私が平の委員だったころは理事長、委員長の後に、誰も発言がなく、シャンシャンで終わってしまったことが多かったのですが、私が委員長になってからは、委員会の30分前に控室に集合し、準備会を行い、今日はどういうことを議論したいか話し合い、それではこの話題はどの委員に発言してもらうか決めて委員会に臨むようにしました。その後は色々な委員がいろいろな発言をするようになり、横審が活発化しました。
 私の横審任期(10年間)は平成29年1月で終わりました。最後の場所でまさかの稀勢の里優勝があり、相撲人気は最高になり、横綱推薦内規があり、1月場所の1つ前の九州場所では鶴竜14勝1敗で優勝、稀勢の里の12勝3敗を協会は準優勝とは言わず次点と表現しました。次点は準優勝ではなく内規上は多少無理があったのですが、横綱に推挙しました。でも稀勢の里の活躍は次の3月場所まででした。その後は全く振るわず、私としても大変困惑しています。
 しかも平成17年10月末には日馬富士殴打事件が発生してしまいました。その結果、11月、12月はTVに引っ張り出され、10回ぐらいTVに出ました。それでも20件以上お断りしました。私がワイドショウに出て多くの友人・知人がうれしく思ったと後で聞きました。12月の頃合いを見て友人、知人も一通りTVでお会いしたと思い、もうTVに出ないと決めました。
 1月場所はたまたま栃ノ心が優勝しましたが、これは一過性のことでしょう。大相撲全体としては今、新旧交代時期のように思います。それもモンゴル力士全盛の時と違い、期待の若手力士のほとんどが日本人力士です。2~3年後が楽しみです。この際、色々と物議を醸している運営方法の改善や、待遇を含めて体制の色々な改善、医科学を含め怪我の予防法やトレーニング法の開発などしなければならない事など多いように思います。
 新しい考え方を取り入れ頑張ってほしいと思っています。


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名誉教授の独り言 (181) 貴乃花親方処分
平成30年 1月 6日

 新年あけましておめでとうございます。
 昨年はいろいろな事がありました。1月には稀勢の里が優勝し、理事会から横綱にしたいという答申があったので、少し無理があったのですが、横綱に推挙しました。この頃は日本中熱狂的な相撲人気だったので横綱にして良かったと思っていました。自分の中での盛り上がりも4月ごろまでだったように思います。それから稀勢の里は全くダメ、さらに10月には日馬富士殴打事件が起こってしまいました。
 今回の臨時評議員会で貴乃花親方の2階級降格が決まったようですが、当然の結果だと思います。
 現在の日本相撲協会はこんなことでもめて時ではないのではないかと思います。今回の事件の元凶は日本人若手が新規に入門してくれないことではないかと思います。入門しても新人は、もちろん稽古はするでしょうが、掃除、洗濯、飯炊き、雑用などを無給でやらされます。他のプロスポーツ選手でこんな扱いを受けている人はいないように思います。親方たちにそれを言うと「自分はそのような中で頑張って強くなった」と胸を張って言います。システムを変える気など全くありませんでした。
 大リーグでアストロズが野球経験のないITの専門家を何人か採用し、新しい戦術を考え、世界一になったようです。大相撲もまわし組だけで全ての運営をするのではなくはなく、コミッショナー制度を採用し、経営の専門化、スポーツ科学の専門家などの力を借りて、四股、鉄砲、摺足だけではない稽古法、勝利法などを考え出す時ではないでしょうか。
 付き人制度も他のプロスポーツには無い制度です。15歳の新弟子に色々と指導すると言ってますが、それで相撲が強くなるとは思えません。その他にもいろいろあるように思います。
 そろそろ変えないとファンから見捨てられますよ。


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名誉教授の独り言 (180) 日馬富士殴打事件
平成29年12月29日

 日本相撲協会はここ10年ぐらい暴力追放を掲げてきて、各部屋の稽古場には竹刀を含め棒状の物は一切置いてないとある親方が言っていたのを思い出していますが、残念ながらまた起こってしまいました。最初に日馬富士が貴ノ岩の頭をビール瓶で殴った、診断書に「頭蓋低骨折、髄液漏の疑い」と書いてあったというので、大変驚きました。確かにビール瓶の底の部分で殴ったら頭蓋亭骨折も髄液漏も起こるだろうと思い、大変驚き、真相を知りたいこともあり。TV局に行きました。その診断書は慎重を期して、もしかしたら…、と言おうとして書いたものであることが判りホッとしました。その後は貴乃花親方は一切しゃべらず、貴ノ岩の日本相撲協会による事情聴取にも応じさせず、ただ混乱していっただけでした。貴乃花親方が日本相撲協会を良くしたいと思っていることは分かっていますが、今回の事件に対する一連の対応はおかしいと思わざるを得ません。貴ノ岩を殴って負傷を負わせた日馬富士は自主的に引退することとなり、12月20日に開催された臨時横綱審議委員会、臨時理事会の決定で、彼の師匠の伊勢ケ浜親方は、自分で申し出て2階級降格となり、今日の臨時理事会で貴乃花親方の2階級降格が評議員会に答申されました。
 確かに貴乃花親方の弟子の貴ノ岩は被害者ですが、貴乃花親方は貴ノ岩への日本相撲協会の事情聴取を許可しないで事件の解決を、ただ後回しにしているのは幹部理事として取るべき態度だとは思えません。今日の臨時理事会の決定は正しいと思います。
 大学で教授をしていた時に出張病院で何かと問題を起こし部長あるいは病院長と上手くいかない教室員が何人かいました。その医師を他の病院に移動させてもまた、同じような問題が起こったりしましたので、そういう教室員の処遇には大変困りました。貴乃花の今回の対応でこんなことを思い出しました。
 何はともあれ、事件が解決し、来年が日本相撲協会にとり、全国の、全世界の大相撲ファンにとり良い年になることを願っています。


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名誉教授の独り言 (179) 元若嶋津
平成29年10月30日

 二所ノ関親方(元大関若嶋津)が緊急で病院に運ばれ重傷のようです。折角、審判委員長として活躍なさっていたのに、と思うと大変心配です。もともと糖尿病があったようですが1日も早い回復をお祈りしています。それにしても力士、元力士は色々と病気、怪我になりやすいように感じています。少しでも大きくなるために大飯を食らい、巨体同士で怪我をさせあっているのですから仕方ないかなとも思います。
 最近は力士の怪我が多くなった主な原因として力士の大型化と稽古不足などが挙げられています。幕内力士の平均体重は1953年には114.5Kgだったのが、2017年には164.3Kgになったようで約60年の間に 50Kgも増えたようです。私が横綱審議委員を務めていた10年間でも平均体重が増えた印象があります。稽古不足は明らかです。稽古総見の時でも、理事長にハッパをかけられてやっと土俵に上がる力士がいたり、段々と稽古時間は短くなり、早い時には朝青龍関が横綱だった時と比べると30分ぐらい早くお仕舞になってしまうこともあり、折角朝早くから稽古を見に行ったのに「もうおしまい?」と感じたことも度々ありました。
 その様なことで力士の怪我は確実に増えています。膝が最も多く、肘、足関節、手関節などが続くように思います。膝で最も重症な怪我は前十字靭帯損傷です。体重が重くなり、筋力が付いていかないと態勢次第では膝が内側に入ってしまい、前十字靭帯が断裂してしまいます。そしてそのまま相撲を取っていると半月板損傷を続発してしまいます。怪我の予防として親方たちはテッポウ、シコ、すり足などを沢山することだと教えているようですが、もちろんそのような基礎訓練は必要だと思いますが、それだけで十分とは言えないように思います。
 でも、力士はスーパーマンのように思います。どこも痛くない状態で相撲を取る力士は居ないのではないでしょうか。どんなに痛みがあっても、痛みが軽くなればまた稽古を再開します。そして勝ちが続くと白星が最高の薬とか言って好成績を残したりします。でも、結果としては力士寿命を短くしているように思います。
 両国国技館の地下2階には「相撲診療所」が開設されています。でもそこには単純レントゲン撮影装置はありますが、CT,MRIはありません。力士は地方場所では体が大きすぎてMRIのガントリーに入れないこともあるようです。内科的疾患も含め、診断まではしっかりできる態勢にした方が良いように思っています。さらに入院施設もしかるべき医療関係者の意見を聞き、ちゃんとした病院を指定すべきと感じています。ただ「優しい医師だから」とか、「こちらの希望を優先してくれるから」という理由で選んではいけないと感じています。さらに保存的治療をするにしろ、手術後にしろ、相撲診療所で、ある程度の療養指導、リハビリテ―ションなどの出来るようにした方が良いと思います。八角理事長は最初の理事長選挙の時の公約として、相撲診療所の充実も挙げていました。今年の9月場所前に短期間幕下以下の力士がリハビリテーションを出来るようにしたようですが、常設にして頂ければと願っています。
 相撲は日本の国技だと言われています。一人でも多くの力士が内科的疾患や不本意な怪我を予防し、運悪く怪我をした場合は正しく診断され、早期復帰できるような治療を受けてくれることを願っています。


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名誉教授の独り言 (178) 目標。
平成29年10月17日

 9月まで行っていた診療所を辞めさせて貰い、精神的に大変楽になり、よく眠れるようになりました。医療に対する考え方が経営者と異なり改める気もなさそうだったので、もうこの年では不本意な仕事はやるべきではないと思い、今回の決定となりました。横審委員長をさせてもらったお蔭でしょうか、幸いにして講演依頼や原稿依頼が幾つか来ており、今は売れないタレントより忙しいのではないかと思っています。でも、このバブルはそう長くは続かないと自覚しています。自分の年齢を考えるとそれも良いのではないでしょうか。講演と言っても最近は素人相手であり、最近は以前のPCが壊れてしまい、新しいPCにしたらpower pointが作れなくなってしまい、講演には腰と膝の模型を持って行き、必要な時はその模型を使って説明し、white boardを用意して頂き、時々はケーシー高峰風に書いて説明をしたりしています。最近は原稿を用意し、特に固有名詞は見ながら、やっと話している状況です。相撲の話と整形外科の話を冗談を交えながら話しており、割と反応は良いように感じています。

 そのような中、最近の私のゴルフはスポーツクラブでの3年を超す筋力訓練のお蔭か飛距離がupしてきました。先日もグリーンオーバーが3回ほどあり、遂にはキャディーさんから私がクラブを選ぶと「大きいのでは?」と言われてしまいました。このまま頑張って、年末までに90を切ることを目標にやろうと思っています。早速、先日のラウンドでは、前半は45だったので、後半頑張ろうと思ったのですが、息切れがして出だしでパー5のところを2回木に当ててしまい10打となり、その後もメタメタで上がってみれば56と不本意な成績になってしまいました。次回に期待です。

 27歳の時に医師国家試験に合格し、それからずっと医者をやっているのでもう50年です。医師免許証というのは一度合格すると死ぬまで有効です。でも、医療費は研修医がやっても大教授がやっても全く同じです。そういうシステムは良い点もあるでしょうが、何となく納得いかないこともあります。医師免許証を頂いてから、もちろん沢山勉強する人もいるでしょうし、あまり勉強しない人もいると思いますが、とにかく大変ありがたい資格です。でも、「そんなにお金の事ばかり考えていないで、少しは勉強しろ!」、と言いたくなる医者もいます。医者ぐらい実力に差のある職業は無いのではないかと感じています。そのような医師免許証を使って、10月からは千葉大学医学部の先輩がやっている病院で週に1日だけ整形外科医をやっています。その病院は田舎の老舗であり、患者さんは皆(ほとんど)素直な人達であり、整形外科医と言ってもメスは一切持ちませんので、ストレスはあまりなく心地よく診療にあたっています。

 私は現在76歳ですし、現在は何時までこのような状態で仕事を続けて良いか悩んでいます。その病院の理事長は85歳ぐらいですので、事務長などはその位になるまで働いてほしいと言ってくれていますが、それは無理でしょう。自分で外来治療が出来る患者さんには出来るだけのことをしているつもりですが、ちょっと手の込んだ検査や治療は直ぐにかつての弟子や知り合いの医者に紹介させて頂いていますし、これからもそうしたいと思っています。

 取り敢えず暇になった時間は目標に向かってゴルフの練習にでも行こうかと思っていますが、このところ毎日雨でおっくうになっています。


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名誉教授の独り言 (177) 老人の階段を1段上がりました。
平成29年10月 1日

 9月30日をもって土気にあるクリニックの仕事を辞めにさせてもらいました。6年前に長兄が終末医療で入院した時に色々とお世話になり、最後をみとってくれた病院の付属診療所であり、3年前に私が千葉市病院事業管理者を辞任した後に、懇願され(月)、(金)の午前中だけの外来をお手伝いしていました。サービス付き高齢者用住宅の1階にありました。最初の仕事が初日の朝に出勤したら何階かでお亡くなりになっている方が朝発見されたので死亡確認をしてくれ、死亡診断書を書いてくれ、警察の検視に立ち会ってくれという事で、すべてが始めて、あるいは久々であり、大変戸惑いました。その後私なりに頑張りましたが最近は色々とあり、今回の辞職決定となりました。3年間、患者さんに頼られる存在であったと思っています。この1か月間は紹介状作成で多忙でした。3年間クレーマーの患者さんを一人も作らず、一人も残さず、辞職出来てホッとしています。
 10月からは大学の先輩がやっているJRで千葉駅から40分ぐらいのところにある病院で週に半日だけ整形外科のお手伝いをします。この病院の理事長は私より10歳ぐらい年上であり、千葉医学会では有名人です。私は現在76才であり、元整形外科医とはいえ最近はいつも使っている薬品の名前が出てこないこともあり、そろそろ終わりかなと思ったりもしています。手術は70歳ごろから一切やっていませんので、外来での患者さんの治療方針決定や、病気の説明(これは看護師さんも脇に来させて話すので、彼女たちには勉強になると好評です)、紹介状書きなどは何とかこなしています。私は医者になってもう50年ですが、現在の仕事なら5~6年研修すれば出来る仕事のように思います。
 それにしても9月場所は散々でした。3横綱2大関の休場で前半は全くの盛り上がり不足でした。連日大入り満員・札留でしたが、入り待ちのお客さんはどんどん減り、売店の横綱の名前入りの弁当が午後4時を過ぎても売れ残っている日もあり、客席も空席がいつもより多く感じました。中盤は若手の活躍で多少の盛り上がりはありましたが、後半に入り若手が次々にコケ、最後は豪栄道の無残な相撲で、日馬富士の根性のみが印象的な後味の悪い場所でした。
 10月1日は気分一新をすべくゴルフをしました。1か月ぶりでしたが、懸案の診療所を辞任したという精神的な爽快感があり、この間、練習もしなかったのに48,47でした。ドライバーは距離は出ないものの満足すべきものでしたが、寄せに難点があり、これを改善すべく、これから少し練習をしようかと思っています。これからの仕事は週に1日ですが、売れないタレント並みの講演依頼もぽつぽつあり、それらをこなせば、このくらいの仕事量が丁度良いと思っています。新しい病院では大変大事に扱ってくれていますので、心地よく仕事をさせていただいていますので、続けられるだけ続けようと思っています。でも、今は何となく老人として新しいstepを一段登ったような感じです。


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名誉教授の独り言 (176) 稀勢の里が危ない。
平成29年 9月10日

 今日から9月場所です。残念ながら3横綱、鶴竜、稀勢の里、白鵬が休場です。
 鶴竜は横綱になった時だけ強かったですが、大関時代はいつ陥落するか、という相撲を取っていたので、準優勝、優勝した時に、当然のように協会から横綱に推薦されましたが、私的意見としては1場所様子を見るのはどうかと思っていました。でも、横綱昇進内規に2場所連続優勝かそれに準ずる成績というのがあり、そのような意見は言えずじまいで横綱に推挙しました。いまにして思うと鶴竜関自身が一番の被害者だったように思います.遠からず引退でしょうから、そうしたら楽になるでしょう。
 稀勢の里はどうしてしまったのでしょうか。確かに3月場所で日馬富士に左肩辺りを痛めつけられて、その後、奇跡的に優勝をしてしまいましたが5月も7月もちょっとだけ出場しましたが、今場所は初めから休場です。左肩を受傷してから、もう5か月間以上経っています。筋肉での腱でももう治っているでしょうが、確かに筋力が戻っていないのかもしれません。でも、それ以上に精神的に参ってしまっているような気がします。今後どうなるのか心配です。
 白鵬は私が横審になった年に横綱になり相撲界に色々と不祥事があった時も一人横綱として大活躍しまさにKingとして君臨していましたが、数年前から調子を落とし、張り手、ダメ押し、猫だましなどでさんざん叩かれ、私だけでなく、舞の海さんや多くのマスコミもそろそろ限界だろうとの評価でしたが見事に復活し最多勝、優勝39回を成し遂げました。大したものだと思っています。今回は左膝の痛みで相撲が取れないという事での休場のようですが、じっくり直して優勝40回を達成してください。
 横綱として、ただ一人出場する日馬富士も横綱になる直前に2場所連続優勝しましたが、大関の頃もパッとした成績ではなく両足関節、両肘関節を痛めていて、土俵入りは白いものを付けずにしていますが、稽古の時はテーピング、サポーターだらけで、かわいそうな感じです。昨年の稽古総見で左肘に黒いサポーターを付けて八角理事長に注意され、その上に白いサポーターを付けて稽古していましたが、何かふてくされていたように感じました。
 初日は3人の横綱の休場の影響で当日売り400枚に普段は午前6時には400人以上が並んでしまうのに、7時20分にやっと売り切れの人数になったという事でした。驚いたことに午後4時を過ぎても白鵬、稀勢の里、日馬富士のお弁当が売れ残っていました。でも、土俵は大変盛り上がっていました。特に若手の活躍が目に着きました。このままでいけば3横綱なしでも十分見応えのある場所になりそうです。結びの1番の後に2人の相撲記者さんと国技館近くのなじみの老舗の蕎麦屋で一杯やりながら、いろいろと楽しい相撲界の裏話などを話し合いました。お二人より一足早く〆のもりそばを頂き帰途に就きました。今場所も10日間、両国に通うことになっています。昔は相撲よりゴルフの方がやるのも見るのも好きだったのですがいつの間にか相撲を見るの方が好きになってしまったようです。今場所も腰痛と闘いながら頑張って観戦したいと思っています。


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名誉教授の独り言 (175) これからの高齢者医療
平成29年 8月13日

 このところ体調をくずしていましたが、最近やっと回復してきました。昨年3月の慢性硬膜下血腫に対する緊急手術、12月の再発胃癌に対する胃カメラによる粘膜切除などの影響で体力回復が遅れたように思っています。
 先日、ご主人の整形外科学教室の先輩として若い時に大変お世話になり、奥様にも色々お世話になった80台半ばになられた奥様が急逝し、お知らせを頂いたのでお通夜に行ってきました。生前に何かにつけお声をかけて下さり、彼女に褒められるのが嬉しくていろいろしたように思います。お清めの席で喪主であるご長男の次に、何か喋れと言われたので、「ご子息とお嬢様は先生ご夫妻のなれそめを知っていますか?」と切り出したら「知らない!ぜひ話して!」とのことだったので、多少粉飾して話をしてから、「故人は現役力士の名前を一人も知らないのにTV中継を守屋を探すために見てくれていました。その期待に応えて横綱審議委員会委員長として稀勢の里を横綱にしました」と話しました。娘さんと息子さんが嬉しそうにうなずいてくれました。言い方が適切ではないかもしれませんが、たいへん素晴らしお通夜でした。
 この10年で75歳以上の高齢者は1.3倍に増えているそうで、その分、高齢者医療費も増えているようです。高齢者の多くは大変つましい生活をして自身の医療費も出来るだけかからないように努力をされているように思います。サプリメントのお金は大変なので医療費で何か貰えないかと言ってきた患者さんもいました。
 8月1日から高齢者医療の外来・入院負担金や月々の自己負担限度額がまた値上がりしました。詳細は判りずらく、私も十分には把握していませんが、入院食事代などは来年また値上げされるようです。高齢者介護の月々の負担額も値上がりするようです。高齢者には益々住みにくくなってくるようです。
 口から食べられなくなった患者さんに胃ろうという方法がありますが、現在、大きな問題になっており、だんだんに胃ろうを造設しないようになっているようです。中には口から食べられるのに胃ろうを造設している病院もあるようです。先日知りましたが最近は胃ろうの代わりに診療報酬費が高くなった中心静脈栄養(IVH)をする老人病院が増えているという事です。お金儲けの医療ではなく、患者さんの尊厳を重んじた医療をしていただきたいと切に望んでいます。日野原重明先生の凄かった事の一つは最後に点滴、胃ろうなどの延命治療を一切受けず、なすがままに天寿を全うなされたことのように思います。
 私ももう76歳です。回復の見込みのない病状になった時には一切の延命治療はしてほしくないと思っています。


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名誉教授の独り言 (174) 大相撲、終わってみれば又白鵬
平成29年 7月24日

 私は5年ぐらい前にもう白鵬は引退ではないかと勝手に思っていました。その後も、かち上げはする、ダメ押しはする、相撲記者と口を利かない、などなどで白鵬はもうダメなのかと思っていました。何をきっかけに立ち直ったのでしょうか。7月場所で白鵬は完全に復活し優勝回数を39回にし、勝利数を1050の新記録まで成し遂げました。大したものです。今では白鵬が強すぎて、かえって相撲人気が盛り上がらないのではないかと思ってしまうほどです。でも、今場所白鵬がこれだけ活躍しなかったら、これほど終盤までファンを繋ぎとめることはできなかったのではないかとも思っています。白鵬のこの記録は大したものですが、今場所の白鵬は立ち合いで右手を相手の顔面に出し、少し左にずれながら左上手を取り、後は上手な相撲で勝った取り組みが何番かあり、そろそろかなと感じています。それにしても、朝青龍のあの西麻布事件さえ無ければ、白鵬のライバルとしてこんなに長く白鵬に天下を取らせる状態は続かなかったのではないか思っています。
 連日、暑い日が続きました。7月の名古屋場所ではお相撲さん達の熱戦が繰り広げられました。今場所は若手の台頭が著しく2,3の力士を除いてベテランの苦戦が続いていました。鶴竜は来場所の成績次第では引退でしょうし、豪栄道と照の富士はカド番です。幕内から十両に落ちそうな力士に琴勇輝、臥牙丸などがいますし、十両から幕下に陥落しそうな力士の中には北太樹、里山のベテラン力士もいます。
 若手は御嶽海、正代、貴景勝、北海富士、宇良などなど盛りだくさんです。勝負事は盛り上がるのも早いですが、熱が冷めるのも早いと感じています。ベテラン・若手がなんとか頑張ってこれからの土俵を盛り上げて欲しいと願っています。
 それにしても稀勢の里はどうしてしまったんでしょうか。5日目の相撲では左足関節の靱帯を損傷するような感じは無かったように思いましたが、翌日から左足関節外側靱帯損傷という事で休場となってしまいました。5日目までで2勝3敗ですから何処か痛いところがあれば、それを理由に休みたくなってしまったのかと邪推しています。3月に怪我をした左肩のあたりはもう治っていると思いますが、まだ十分な稽古が出来ず、以前のような相撲を取れるまでには、筋力、俊敏性が回復していないのではないかと思います。そういう不安があったのでしょうか、控えに入ってから立ち上がるまで、眼瞼の動きがかつての、どうしても横綱になれない大関稀勢の里の頃と同じようになってしまったのが気になります。もう横綱になってしまったのですから、9月場所は休んで筋力、俊敏性の回復に努め、総合して相撲力を上げ、11月場所では稀勢の里本来の力を見せてもらいたいと願っています。でも、日馬富士には勝てないかもしれません。昨年9月の稽古総見で日馬富士に徹底的に可愛がられ、それがトラウマになっていたのではないかと思っていました。1月場所は日馬富士は途中休場でいませんしたが、今年の3月場所での取り組みで立ち会い一瞬遅れ左肩の辺りを日馬富士に負傷させられたように思いました。多分それはトラウマの上塗りになったように見えました。現在の日馬富士は満身創痍です。稀勢の里には頑張れば勝てると考えて取ってほしいと願っています。
 大相撲TV放映ををやっていると、ついTV桟敷で見たいと思い、見てしまい、スポーツクラブを休みがちになってしまいました。明日からは復活します。


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名誉教授の独り言 (173) 年を取りました。
平成29年 7月10日

 76歳になり、もう私のゴルフは、飛ばない、寄らない、入らない、となってしまい、結果として100をかろうじて切るか、切れないかになってしまいました。練習をしても現在よりは上手くなるとは思えず、精々周りに迷惑をかけないようにするだけだと思っています。
 かつての教室員だった人が静岡で立派な整形外科病院をやっていて、先日、コンペをやるというので行きました。そこにはかつての教室員たちが前夜祭と称して大勢参加していました。その日は午前中に都賀で年寄りが集まる講演会に謝礼なしの講演を1時間半、口から出まかせの大相撲の話をして、乗り込んだ後でした。50歳前後の人達がゴルフにはまっており、3~4年熱心に練習しているものの未だに100を切れないと言っていました。彼らは18歳ごろに難関と言われた医学部入試に合格し、後は言われるままに勉強し、ここまで来ちゃった人達なので努力すれば人生は何とかなるのではないかと思っているようです。single playerになる人の8割はゴルフを始めて1年以内だそうで、私はゴルフが上手くなるかどうかは遺伝子の問題だと思っています。彼らが運よくゴルフが上達することを願っています。私はこのコンペでは同伴プレイヤーの80過ぎのジーさんの強い要望でゴールドティーから打ちましたが、やっと100を切りました。プレー後の成績発表会ではいろいろと楽しいコメントがあり遂に最後迄いてしまいました。楽しかったです。でもその後の2週間は疲れでボロボロでした・・・。
 先日は自分のメンバーコースで熱中症にならないようにスポーツドリンク2本と芍薬甘草湯を持ってラウンドしました。朝からスポーツドリンクをガンガン飲み、午後は最高気温34度だったようで、後半4ホール目あたりで左手第4指が一寸攣ってきたので慌てて芍薬甘草湯をスポーツドリンクで飲み、何とか18ホール廻ることが出来ました。53,50でした。帰ってから喉の渇きに耐え兼ねてビールを飲んだらクタクタになってしまいました。もう年です。改めて、この夏、ゴルフをするかどうか迷っています。
 それよりゴルフは絶滅危惧スポーツではないかと思っています。あれだけの広いスペースをあんな少人数の人達が独占し、贅沢な時は若いキャディーさんに1日お付き合いをお願いし、1日で100回ぐらいクラブを振り、後は休みながら歩くだけです。最近の若い人達はゴルフをしない人が多いように感じています。若いカミさんが許さないのでしょう。地球上の人口は爆発的に増えています。色々な考え方があるでしょうが、あの広大なゴルフ場は他の利用法を考えなければならない時がやがて来るように思います。
 今日も最高気温が30度を超すという予報だったので、予定していたゴルフは辞めにして、午前中にスポーツクラブのプールで歩いたり、泳いだりして、お風呂に入ってきました。午後はTV桟敷でウトウトしながら過ごしました。お陰様で熱中症にはなりませんでした。


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名誉教授の独り言 (172) ご無沙汰しました。
平成29年 6月13日

 前回は再発胃癌でご心配をおかけしました。残胃に出来た直径5mmぐらいの胃癌は胃カメラでの粘膜切除で治ったようですが、術後は、お酒を1ヶ月止め、消炎鎮痛剤は2ヵ月止めました。最近やってもらった胃カメラでの再検査で胃癌だったところは治っていました。その後の問題はピロリ菌でした。3年前に血液検査でやってもらった時は陰性でしたが、今回の呼気テストでは弱陽性とのことで薬を飲むことになりました。この薬は相当に強い抗生物質のようで、服用していた1週間とその後の数日間は常にトイレのことが気になり大変でした。その間のゴルフは6月1日45,53、と㋅11日53,50でした。体力もゴルフ力もどうやら回復したようですが、何となく体がふらつきます。そのような中、どういう訳か分かりませんが、講演依頼が相次いでいます。千葉大学名誉教授であり、日本相撲協会横綱審議委員会第14代委員長という肩書が良いのかもしれませんが、多くは町内会やスポーツクラブの人から依頼で、労多くして益少なしです。特に安い講演料の予定は忘れそうになっているので、家内にマネージャーをお願いしようかとも思いましたが、こんな売れないタレントのような仕事はそう長くは続かないと思うので、家内も真面目に聞いてはくれません。でも、秋までの講演依頼は8件あります。もう来年に、というのもあるようです。
 昨年パソコンが壊れてしまい、新しいパソコンでの色々な操作が判らず、最近はスライドなしで講演をしています。一応絵を描いた方が良い場合は「ケーシー高峰」風にホワイトボードだけは用意してもらっています。考えてみると落語家や講談師はスライドなど使わずにしゃべっているので私もそれでも良いかと思っています。でも、今までスライドに沿って話を進めていたので、スライドがないと話があちこち飛んでしまい、どうやって元に戻すかが問題になってしまうこともあります。どちらにしても、そんなに大事な話をしている訳でもないので、何とかなっているようです。
 本業の医者は中々辞められません。多くの人の意見では健康の面からも無理のない程度なら続けた方が良いと言われ、取り敢えずは少しだけ続けています。現在のような医者なら30歳前からでも出来ただろうなー、と思うような楽な仕事です。でも、これを若くして本業にしていたら人生に飽きてしまっただろうと思います。やれることは、レントゲンを撮り病気の説明をし、痛いという人に痛み止めを処方し、膝や肩に関節内注射をし、足底版や腰仙ベルトを発注するぐらいで、それより重症の人はしかるべき後輩に紹介状を書きお願いするだけです。こうして考えると手術をしたり、難しい研究をしたりなどは今更ながら大変だったと思います。
 それにしても疲れやすくなりました。半日外来をすると昼寝したくなりますし、1日歩いて18ホール廻るとくたくたです。でも、今週は(月)、(金)に午前中だけ外来、(水)、(土)に講演とその後の宴会、(木)午後にある奨学会の選考委員会、日曜日には静岡でゴルフです。来週は使い者にならないのではないかと心配しています。稀勢の里の怪我も予想通り治ったようですし、7月場所に高安と共に大活躍してくれることを願っています。


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名誉教授の独り言 (171) 再発胃癌
平成29年 4月25日

 昨年11月始めに、年に一度の胃カメラを受けました。胃癌術後10年目でした。胃カメラ後に主治医が変な顔をして「生検をしましたので1週後に来院して下さい」と言われ、行ったら「異型細胞が出ているので癌になる前に取ってしまいましょう」との診断でした。胃に異型細胞があると言われたら、ほとんどは癌なので覚悟して胃カメラでの粘膜切除を受けました。結果は胃癌の再発でした。実は術後7年目ごろに「異常なし」の診断だったので、親友である名医の鈴木一郎君に「もう良いかな?」と相談したら「正常だった胃に癌が出来たので、残っている胃にまた癌が出来る確率はあるので定期的に胃カメラはやってもらった方が良い」との言葉に従った結果でした。一般的に術後5年もするとなんとなく胃カメラをしなくなるようですが、私がそうしたら今回のように再発胃癌を見つけることはできなかったと思います。もし胃癌体験者の方がこのブログを読んでいるようでしたら、人生を諦めるまで年に1度の胃カメラをお勧めします。
 入院は7日でした。3日目ぐらいにはすっかり元気になりましたので、退院を申し出たのですが、術後クリニカルパスは入院9日になっているのでおまけしても7日はいてもらわないと困る、ということで退院させてもらえませんでした。私自身は約30年間、教授をしたり、病院長をしたり、病院事業管理者をしたりで我儘でしょうがないと自覚していますが、何より不満だったのは流動食、お粥が不味かったことです。もう少し塩気をつけるとか、だしを入れるとかしたほうが良いと思いました。こんなに不味い食事を出して7日間も元気になった老人を入院させておくのは不合理であり、食事指導をして、もっと早く、患者の責任で退院させるべきと思いました。
 術後の主治医の説明では粘膜を切除したところはクリップで縫縮したが少し出来なかったところがあり、胃潰瘍状態になっているので、術後1ヶ月は禁酒、2ヵ月はNSAIDS禁止とのことでした。お酒は守れましたが、NSAIDS禁止は守りましたが辛かったです。以前から腰痛があり特にゴルフの時にはNSAIDSが必要でしたが、今回は温湿布などで頑張りました。2ヵ月近くなった時に、「そうだ、座薬を使えばよいのだ!」と思いつきました。整形外科医としてはお粗末な話でした。でも、これは主治医が言ってくれてもよかったかな、とも思いました。
 術後2ヶ月ごろ、腰は痛いし、食欲は進まないし、体重が2Kgぐらい減少し、それがなかなか回復しませんでした。消化器の病気は整形外科とは違うなー、と思いました。さらに1月は稀勢の里が横綱になれるかもしれないという毎日でほぼ毎日両国に通い、砂被りに3~4時間座っていましたので、腰痛はさらにひどくなり、体調回復には悪影響がありました。
 最終的に術後2ヶ月での胃カメラで粘膜は回復しており、体調も術後3ヶ月ごろから回復してきました。
 稀勢の里は1月場所優勝し横綱になりましたし、さらに3月場所でも、左肩周辺を負傷しましたが連続優勝し、万々歳でした。これでゴルフが復調すれば文句ありません。


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名誉教授の独り言 (170) 講話
平成29年 4月 7日

 先日、千葉大学大学院修了式で講和を話すように学長からご依頼を受け、柄にもないと一度はお断りしたのですが、結局お受けすることになり、話しましたので、その要旨を書きます。

 本日は千葉大学大学院修了、誠におめでとうございます。ご父兄の方々にも、心よりお祝いを申し上げます。大学院修了生は、晴れて今日の日を迎えることとなりましたが、今後、社会に出る人、研究を続ける人と色々な道があると思います。皆さんが世の為、人の為に役立つような人生を歩んでくれることを願っております。
 私は、大学院修了生の皆様を非常に羨ましく思っています。と言いますのも、私は千葉大学医学部を昭和42年3月に卒業しましたが、1年間のインターン終了後、大学院を受験出来ませんでした。当時は安田講堂事件など、学園紛争の真っただ中で医学部クラス会決議は「大学院ボイコット」でした。クラスメートのうち何人かは大学院に進みましたが、私は大学院には進みませんでした。でも、私は小学生の時から、世の為、人の為に役立つ医師になるということを決め、医学部に進み、整形外科医になり、主に関節外科、スポーツ医学の研究、臨床を続けました。毎日、必死に勉強しました。その結果、多くのスポーツ選手、プロゴルファーの中嶋常幸プロ、丸山茂樹プロ、岡本綾子プロや何人かの力士も診療しました。その結果でしょうか、後に日本ゴルフツアー機構医事委員長をご指名頂きました。そうこうしているうちに横綱審議委員で人間国宝の歌舞伎役者澤村田之助氏が千葉大学医学部整形外科教授であるということで、私の所を受診してくださり、結局は手術をさせて頂きました。治療をしている間に相撲の話をしていたら、ある日、突然「横綱審議委員になりませんか?無報酬ですが・・・。」という話になり、その後、北の湖理事長から横審のご指名を頂きました。学生時代やその後の医者になって若かった頃、酒を飲みに行ったり、マージャンをしたり、と人生を謳歌しました。それはそれで楽しかったですが、でも私にとり人生で一番楽しかったのは学生時代、その後医師として、「勉強をする事」でした。今日の大学院修了生はまだ若いです。まだまだ勉強をしなければなりません。頑張って勉強して人生を楽しんでください。
 私が人生で大事にしている事の一つに「やるべきことをやるべき時にやる」があります。研究であれ、論文作成であれ、やるべき事を素早く認識し、やるべき期限までにやり終える、ということです。相手が偉い、あるいは重要人物であればあるほど多忙であり、待っていてくれることはありませんし、重要な学会であればあるほど期限を守ることは重要です。仕事の遅い人は、結果として、それなりの評価しか頂けません。
 私は医師として教育者として一生を過ごしてきましたが、お金儲けのために仕事をしたことは一度もありません。これは大変幸せなことでした。お金を稼ぐことを第1に考えて医師をやっていると人間が卑しくなり、品格が落ちるように感じています。常に医師としてのprideを持って人生を過ごす為にはお金儲けを第1と考えてはいけないと思っています。これは医師以外の仕事でも同じだと思っています。本日の大学院修了生の皆様には、事情が許せば、「お金の為にではなく、真理の追及の為や、世の為、人の為になる仕事」をしてほしいと願っています。
 世の中で偉くなるかについて「人生は巡りあわせ」だと思っていますが、良い巡りあわせの流れを作るのも一つの努力のように思います。横綱審議委員長最後の場所に、それまで勝って欲しい、負けないでほしいという期待を何度も裏切ってきた稀勢の里が優勝し、横綱に推薦できたことは私の引退の花道を飾ってくれて、本当に幸運でした。

平成29年3月24日 千葉大学名誉教授 守屋秀繁



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