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名誉教授の独り言(182) 大相撲平成30年1月場所を終わって

更新日 平成30年1月29日

 私はもともと相撲がそれほど好きではありませんでした。3年ぐらい前に蓮沼村立蓮沼小学校の同窓会に行ったら、八百屋のサブちゃんが「ヒィちゃん(私の事です)、どうして横綱審議委員をしてるの?俺、相撲は君に負けたことが無いよね」と言ってきました。確かに小学校の校庭に丸を書いて相撲を取って負けばかりでした。「人生の巡りあわせだよ」と答えておきました。
 その後、私は医者になり、これも「人生の巡り合わせ」で教授になってしまいました。教授になりたての頃は相撲よりゴルフの方が好きでした。中嶋常幸プロをはじめ何人ものプロゴルファーの主治医を勤めたりもしました。平成17年夏ごろに、私が千葉大学医学部教授であるということでご紹介いただいた歌舞伎役者、澤村田之助丈を外来で治療中に「横審になりませんか?無報酬ですが・・・」、と言われ「もし選んで頂ければ喜んで」と答えました。田之助さんは当時既に横綱審議委員(横審)で人間国宝でした。彼が北の湖理事長に御推薦下さり、横審にさせていただきました。確かに無報酬で、日当も無く、交通費も出ませんでした。
 仕事としては年6場所後の月曜日の夕方に両国国技館2階の会議室での横審(必要があれば臨時の委員会も開催されます)が開催されます。年3回の東京場所10日ぐらい前に「横綱審議委員会稽古総見」、東京場所中に1日だけマス席に御招待される「横綱審議委員会場所総見」があります。横綱審議員会の後には席を変えて懇親会があります。その時に相撲界について色々と教えていただくのは楽しい時間でした。その他に相撲界全体について、ご意見を頂きたい、ということです。
 そもそも横綱を任命していた大分の吉田司家が「免許」という証書を発行して、以後横綱を称号することを許可していましたが、1950年1月場所の3日目までに東富士,照国,羽黒山の3人が相次いで休場し、横綱を粗製乱造しているとの非難を浴び吉田司家に代わるものとしてできたのが横綱審議委員会です。初代委員長には1950年4月に権威付けもあり元伯爵・貴族院議員酒井忠正氏が就任しました。私は33人目の委員でした。今まで医者で横審になったのは東京大学医学部内科教授だった上田英雄先生(第5代委員長)だけで私が2人目でした。
 横審の最大の役割は横綱を推薦すること、正しくは審判部が推薦するかどうか協議し、推薦すると決めるとそれを理事会に上げ、可なら、横審に上げ、最終的な判断を求めます。推薦されると多くはそのまま承認されますが、過去には1954年5月栃錦、1968年5月玉乃島、1969年11月北の富士、1994年9月貴乃花の4力士が横審で横綱昇進を見送られましたが、全員その後に横綱になっています。横審は横綱に引退勧告することも出来ます。かつて朝青龍が西麻布で不祥事を起こした時に臨時横綱審議委員会が開催され、朝青龍に対する引退勧告書を作成し、理事長(武蔵川さん、元横綱三重ノ海)に引退勧告書を出そうとした時に、一瞬早く朝青龍が引退宣言をしたので、結局、引退勧告書は出さずに終わりました。
 平成18年1月の横審で内山前委員長の「横審委員は全員お忙しい方ばかりです。その中で一番暇そうなのは守屋さんなので守屋さんに後任の委員長をお願いしたい」との発言があり第14代委員長に選出されました。委員長は定例の横審の後に協会の広報部長と2人で残されて記者会見をしなければなりません。特別な引継ぎが無かったこともあり、1回目の記者会見では上手には答えられませんでしたが、2回目からはだいぶ慣れてスムーズに対応出来るようになりました。横審で私が平の委員だったころは理事長、委員長の後に、誰も発言がなく、シャンシャンで終わってしまったことが多かったのですが、私が委員長になってからは、委員会の30分前に控室に集合し、準備会を行い、今日はどういうことを議論したいか話し合い、それではこの話題はどの委員に発言してもらうか決めて委員会に臨むようにしました。その後は色々な委員がいろいろな発言をするようになり、横審が活発化しました。
 私の横審任期(10年間)は平成29年1月で終わりました。最後の場所でまさかの稀勢の里優勝があり、相撲人気は最高になり、横綱推薦内規があり、1月場所の1つ前の九州場所では鶴竜14勝1敗で優勝、稀勢の里の12勝3敗を協会は準優勝とは言わず次点と表現しました。次点は準優勝ではなく内規上は多少無理があったのですが、横綱に推挙しました。でも稀勢の里の活躍は次の3月場所まででした。その後は全く振るわず、私としても大変困惑しています。
 しかも平成17年10月末には日馬富士殴打事件が発生してしまいました。その結果、11月、12月はTVに引っ張り出され、10回ぐらいTVに出ました。それでも20件以上お断りしました。私がワイドショウに出て多くの友人・知人がうれしく思ったと後で聞きました。12月の頃合いを見て友人、知人も一通りTVでお会いしたと思い、もうTVに出ないと決めました。
 1月場所はたまたま栃ノ心が優勝しましたが、これは一過性のことでしょう。大相撲全体としては今、新旧交代時期のように思います。それもモンゴル力士全盛の時と違い、期待の若手力士のほとんどが日本人力士です。2~3年後が楽しみです。この際、色々と物議を醸している運営方法の改善や、待遇を含めて体制の色々な改善、医科学を含め怪我の予防法やトレーニング法の開発などしなければならない事など多いように思います。
 新しい考え方を取り入れ頑張ってほしいと思っています。