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名誉教授の独り言(187) 終わりそうな人

更新日 平成30年6月15日

 私のガールフレンドの一人である内館牧子女史が小説「終わった人」を上梓したのは2年ぐらい前だったように思います。自宅近くの本屋さんで並んでいたのを見つけ買い求めました。その2年ぐらい前に常勤職を辞した自分にとっては、良くここまで定年退職した男性の気持ちを表したものだ、と感心しました。
 昨年この小説が映画化されるとのメールをガールフレンド様から頂き、今年5月に銀座にある東映本社での試写会にご招待を頂き、家内と2人で見に行ってきました。館ひろしさんが主役でコメディータッチになっており、中年男性の悲哀があまり感じられず、原作の方が良かったと感じました。
 私は若い時は家事や家の経済などには目もくれず、患者さんの治療や研究などに全力を尽くしてきました。65歳の3月末日で千葉大学を定年退職し、翌日の平成19年4月1日から茨城県神栖市にある鹿島労災病院長として4年勤務しました。多くは週の中頃と週末に千葉の自宅に帰り、その他の日は神栖の院長宿舎に泊まりました。
 鹿島勤務3年半の頃の月曜日の朝に6時頃に自宅を出て東関東高速道の酒々井PAで家内と2人で和定食を食べながら70歳近い人のやることでは無いように思いました。体力的には大丈夫だったのですが精神的にそろそろかなと思い出してしまいました。その頃に千葉市熊谷市長の名代の方が鹿島労災病院に来て「平成24年4月から千葉市に病院局を創るので、そこの初代病院事業管理者になってくれないか」、という御依頼を頂きました。幸いにして鹿島労災病院も私が着任した時より業績も向上し、安定して来ていたので、そのお申し出を受けることにしました。千葉市病院事業管理者も大変な仕事でしたが、私の後を当時千葉大学学長だった斎藤康先生がやってくれるとのお話を頂き、3年で退職すると決めました。3年間の在任中に40億円ぐらい経費を節約したのではないかと思っています。そして4年前に常勤職の無い状態になりました。初めは大変気楽になりfreeの生活を楽しんでいましたが数か月後には何か不安な毎日になってしまいました。無職になってから半年後に週に2日外来をしてくれという申し出を頂き、3年ぐらい勤めましたが、経営者の方針と私が長い間医者をやって来た考え方が色々と異なり、そろそろ辞めたいなーと思っているところに千葉大学医学部の10年先輩の大変尊敬できる方から「病院を手伝ってくれないか」とのお申し出を頂き、これが人生で最後の仕事だと思いながら引き受けることにしました。朝5時に起き5時半に朝食を取り、6時に家を出て近くの公園に行きラジオ体操をして、その後モノレールで千葉駅に行き、そこからJRで約1時間かけて病院に到着するという事で多少ハードですが、現在でもその仕事を続けており、半分以上「終わった人」になっていますが、外来と入院患者さんの相談に乗るだけで手術はどんなに小さいものでも全くやっていません。という事で、まだ「終わりそうで終わってはいない人」の状態です。
 私は先月の誕生日で77歳になり喜寿を迎えましたが、腰痛はあるものの腰椎のストレッチングで何となく凌いでおり、体力的には、このお程度の内容ならまだ十分に働けるし、ゴルフもスコアーは別として、週に1回ぐらいなら大丈夫だと思っています。映画「終わった人」が先週一般公開されたようですので、千葉でもう1回見ようかな、と思っています。その上で何歳まで現在の仕事を続けるか考えます。