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名誉教授の独り言(194) オランダ倶楽部-近況報告

更新日 平成30年12月3日

 私は横綱審議委員を10年満期で終了してもうすぐ2年になります。横審の委員の方たちとすっかりお会いしなくな りました。年に6回、計60回(正確には朝青龍に引退勧告書を書いた臨時委員会も含めると61回)会っていると委員 を辞めても会って話をしたくなり、内館牧子女史(以後内館さん)が発案し、私もその会に入れて頂きました。第1回は内館さん、山田洋次監督、澤村田之助さん、と私の4人で銀座の中華料理屋さんで始まりました。もし側に相撲記者さんがいたら十分に記事になるような話で盛り上がりました。
 第1回の終了直前に内館さんが今後も続けたいがこの会の名前をなんとするかという話になり、色々と案が出されました。私はこの宴席を自分が払うと言い出したら皆さんそれも可能だと思ったのですが、この会を長続きさせる為にはワリカンが良いのではないか考え、ワリカンを英語でDutch accountというので「オランダ倶楽部」ではどうでしょうか、と提案しましたら、皆様から相撲と関係なさそうで良い、というご賛同を頂き決まりました。その後この4人に元委員の方が加わったり加わらなかったりして年に1~2回楽しく開催してきました。
 なぜ山田監督が映画監督になられたのかとか、内館さんが何故相撲を好きになったのかかとかいろいろと楽しい話が続きました。山田監督は満州から帰り東大法学部の授業料が一番安かったのでそこへ進んだが法学部の授業は性に合ってなかった、結果として松竹に入社し、助監督、監督となってしまった、と言っていました。内館さんは秋田の大旅館のお嬢様で小さい時から身の回りの事を面倒見てくれていた人がいたので幼稚園に通いだしても着替えとかも一人では出来ず、同級生にいじめられたのを、太った体の大きい子に助けられ、以後そういう男の子が好きになり、それが力士やプロレス、ボクシング好きに繋がったと言っていました。私がどうして医者になったか聞かれたので「小学校4年の時に母親にあなたは医者に向いていそうだから頑張って医学部に行って医者になったらどうでしょう」と言われたのでそのまま医者になりました。でも中学2年の時に噺家の方が楽かなと思い、当時NHKのジェスチャークイズの男性軍キャップテンだった柳家金語楼さんに弟子にしてくれるかという手紙を書いたら、これからの噺家は教養が必要なので大学に行きなさい、大学を卒業してもまだ噺家になりたかったら、もう一度手紙を下さい、というお葉書を頂きました、でも私は大学卒業後に医者でしたし、金語楼さんはお亡くなりになっていたので、そのまま医者をしています、という話をしました。
 最近も山田監督は相変わらずご多忙のようですし、田之助さんは体調を崩しているようですし、内館さんは執筆に多忙のようで、私はすっかり出不精になってしまい、オランダ倶楽部は暫し休会になっています。最近は内館さんともっぱらメルトモとして楽しんでいます。内館さんとはいつの間にかメール上はガールフレンド、ボーイフレンドの間柄になってしまい、相撲の事などをメールして楽しんでいます。9月場所ではガールフレンド様が大ファンである稀勢の里がそれなりの成績を上げたのでガールフレンド様は大変盛り上がっていました。でも、11月場所で4連敗後に休場となってしまいましたので、意気消沈でした。今は私も稀勢の里の復活を願っています。