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名誉教授の独り言(217)令和2年9月場所

更新日 令和2年10月3日

私の左手関節骨折も大分良くなってきました。私は暢気にしていましたが、今場所はコロナ禍で力士にとっては大変だったと思います。力士は出稽古に出られず、部屋で四股、テッポウ、スリアシだけでは十分に本場所に臨める体調は整わないのではないでしょうか。結果として力士70名(全体の10%)がいろいろな理由で休場、この中にコロナ関連の力士もいました。十両以上でも13名が休場でした。コロナで2部屋が完全封鎖され休場となってしまいました。相撲観戦の楽しみの一つは横綱土俵入りですが、これも両横綱休場でありませんでした。前半は下半身の筋力が充実していないせいかはたき込みで負ける力士が目立ったものの、はたきこみで決まった勝負はそれほど多くはありませんでした。幕内の取り組みが普段なら前半10組、後半10組あるのですが、今場所の千秋楽は前半9組、後半8組で、呼び出しさんは土俵を掃いて時間稼ぎをしていました。

 

白鵬、鶴竜の2横綱の休場で、今場所の期待は朝乃山の優勝にかかっていました。ところが重責に負けたのか朝乃山は出だし3連敗してしまいました。その後に頑張って3敗のまま後半まで来ましたが、14日に正代に胸をどつかれて哀れな負け方をしてしまい4敗となり優勝戦線からは脱落していきました。徐々に優勝候補力士が減っていき千秋楽では翔猿と正代の決戦になりました。遅咲きの翔猿ですが1,2度正代を倒しそうになり拍手・喝采でした。結局、正代の優勝と大関昇進でめでたしめでたし、でした。でも、全体としてレベルの低い場所だったなー、というのが印象です。