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名誉教授の独り言(201) 人生100年時代(2)

更新日 令和1年5月10日

 合格した千葉大学医学部は天国でした。毎日が楽しくて仕方ありませんでした。多少麻雀の事を知っている友人がいて4月中にその友人の下宿で4日か5日連続で麻雀合宿をしたら隣人にうるさいので出て行けと言われ、私の実家の軽トラを借りてきて引っ越しをしました。5月の連休には、別の友人の叔母さんの軽井沢の別荘に行き麻雀合宿をしました。

 始めてドイツ語の授業を受けて外国語は2か国語ぐらい話せたら良いと考え、その為に「ドイツ文化研究会」に入部しました。授業での講師はNHKのドイツ語講師をしていたグライル先生でした。グライル先生に結構かわいがられたこともあり、英語の会話は出来るようにはなりませんでしたが2間の医学進学過程での勉強でドイツ語を少しは話せるようになりました。でも、今では単語は少し出てきますが、話すことは出来ません。夏には千葉大学医学部が所有している山中湖畔の学生寮にグライル先生は合宿に来て下さいました。夏とはいえ冷たい湖水の中,平気で泳いでいたのを記憶しています。

 田舎の実家にはどうしてだか判りませんが庭に卓球台があり、少しは慣れていたので卓球部に入りました。卓球部では全く目が出ず、5年生の時に1度だけ公式戦にダブルスで出させてもらいました。走るほうだけは走っていました。冬には余り沢山雪が積もったところを見たことが無かったのでスキー部に入りました。初めて万座に行った時にすっかり雪で覆われている景色を見てびっくりしました。スキーも上手くなりませんでした。滑っても曲がれないのでノルディクの方に回されました。それなりに楽しいものでした。リレーで私の前を滑ったクラスメートがスキー板を折って取り変えてきたのには驚きました。

 学業の方は授業も楽しかったですが、成績もマーマーでした。卒業するまでに全科目1回の試験でパスする人はあまりいないようで教授選に立候補した時に医学部事務の人から、「学生時代は割と成績良かったんですね、」と言われました。

 学生時代で最も印象深かったのは「山中寮委員」です。3年生の夏から4年間, 7月、8月はほとんど山中寮で過ごしました。山中寮は山中湖畔の広大な敷地に千葉大学医学部学生の自主管理寮があり、食事は市川の女子短大生が給料なしで作ってくれ、委員1年目は早朝に起きトイレ掃除など大変でしたが、楽しい毎日を過ごしました。楽しかったし、余り勉強しないでも合格点を頂けたので、余り勉強はしませんでした。卒業時は学園紛争の真っただ中で、我々は最後のインターン生となってしまいました。ここは勉強しなければと思い国立第一病院(東一)のインターンに応募しました。学園紛争中でインターンボイコットの風が吹き荒れ、東一でのインターン生の応募が少なく、幸いにして東一でのインターンが決まりました。そこでは学力不足を実感し、必死で勉強しました。その結果何とか医者になることが出来ました。

 医者になってからもう52年目です。来週の誕生日で78歳です。まだ、2週に3日医者をさせてもらっています。医師免許証は一度取得すれば死ぬまで有効であり、大変有難いと思っています。このまま人生100年まで持つでしょうか。