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名誉教授の独り言(204) 無給医局員

更新日 令和1年7月3日

 私は医師免許証を頂いてから52年目です。従って私が無給医局員になったのは52年前です。そのころは学園紛争の真っただ中で、インターンは医局制度の諸悪の根源だと言われ、私の学年でインターン制度が終了しました。同時に医者になりたてとはいえ無給で働かせるのは問題ではないかとという考えもあり、その後暫くしてから額は忘れましたが相当安い日給をくれるようになりました。でも当初は無給でも当たり前のように思っていました。現在は安倍内閣の「働き方改革」で無給医が問題になっていますが、多くの研修医に安い日給は払っているのではないかと思います。今でも全く日給も貰っていない若い医師もいるかと思いますが、それはタダでも良いので勉強させて下さい、という医師のように思います。私が無給医局員だった頃には週1日は関連病院にアルバイトに行っており、生活に困ったという記憶はありません。
 私が医師になって1年目に大学病院に残してもらい雑用係をしていた時は、手術日には術者の汗拭き(当時は現在ほどエアコンが良くなく、術者は汗だくで手術していた)、出血量の測定(血でぬれたガーゼの重さを測定し、その値からガーゼ1枚3g×枚数を引いて麻酔医に報告する)、昼食の用意(お昼近くなると4人の術者に出前を何をするか聞いて手術が終わる頃に出前が来ているように電話で注文しておく)、手術が終わると手術室の床をモップ拭き、手術器具の湯洗、油引き、器具棚への返納、などなどでした。手術の無い時は勤務室に張り付き、回診、処置、処方などを行いました。自分が責任者となってやることは無く、先輩医師のやることを見たり、そのお手伝いをしていました。手術室や病棟での下働きのような仕事で一番勉強になったのは先輩の失敗を見る事でした。「なるほど。こんなことはしてはいけないのだ」と多くの勉強をさせてもらいました。教科書には上手くいった話しか書いてありませんが。日常勤務では上手くいかないことを日々学ぶ事が出来ました。
 入局して数ヶ月した頃に医局で暇そうにしていたら、教授から「○○病院へ××君の代わりに当直に行くように」と命じられました。××先生はスライドつくりの名人だそうで、教授が電話したら「当直なので行けない」との返事だったようです。教授命令なので○○病院に行ったら××先生が待っていてくれて「君、僕の代わりに当直をしても当直料は出ないよ」と言われました。××先生は3年先輩でしたので「もちろん、貰いません」と返事しました。その晩は輸血の必要な患者さんが発生し、血液型のクロスマッチングをした記憶もあります。それから19年後に人生の巡り合わせで私は教授になってしまいました。その後に××先生に会った時に「君が入局1年目に○○病院で私の代わりに当直に来てくれた時に当直料を払わなかったことを覚えていますか?」と聞かれました。「もちろん良く覚えています」と答えました。「今日は寿司をご馳走するから食べられるだけ食べて下さい」と言ってお寿司を腹一杯ご馳走になりました。
 正しい表現かどうか判りませんが、その時には「殴った方は忘れるが、殴られた方は忘れない」という言葉を思い出しました。
 今、問題なのは(無給医がいることも問題ですが)、それ以上に無給医の数そのものでは無くて、有給でもその日給が安すぎ、超過勤務量も出ない事ではないでしょうか。